あるアーティストの嘆き

こんにちは。
当社保養所のある熱海では、早くも桜が見頃を迎えようとしています。
都内から30分。少し息苦しさを感じたなら、ちょっとの工夫でリセットができますよ。

■あるアーティストとの出会い
「企業はお上品なマネばかり」

今回は、まずエピソードから。ここ熱海で体験したお話です。
常連になっているある居酒屋に、ひとり立ち寄ったときのこと。そこは、熱海の地元住民に親しまれている繁盛店です。

ご時世もあってか、その日は珍しくカウンターが空いていたので座って一杯やっていましたら、先に座っていた隣の初老の紳士に声をかけられました。聞けば、その方は、東京在住のアーティストだそうです。ときどきフラッと熱海に来ては、インスピレーションを養っているということです。
私がこの数年間、アートやアート思考にどっぷり浸かっていたこともあり、自分の引きの強さにあらためて感心したのですが、興味深かったのは、その方から聞いた言葉です。

「最近、企業がアートを取り入れて経営に活かそうとしているでしょ。あの流れね、じつは、アーティストとしてちょっと困ってるんですよ」と。
自分が取り組んでいるこのタイミングで聞くことができたその言葉に、強烈に興味をひかれたので色々と話を聞かせてもらいました。

いわく、「企業はなんでもそう。すぐ形ばかりをスマートに、お上品にマネしようとするだけ。アートそのものに心底コミットしていないし、理解しようとする姿勢も感じない

かなり手厳しい批評ですが、ある意味、本質を語っているなと思いました。大学から叩き上げで、何十年もこの世界で生きてきた当人としては、「流行っているから」と企業がカタチばかり飛びつく姿が、どこか空々しく見えてしまうのでしょう。

時代背景、文化、歴史など、さまざまな文脈を含んだうえで、受け取る個人がそのときもっともふさわしい形で表現してきた作品たち。それらは、簡単に説明できるものでもないし、簡単に理解できるものでもない、ということなのでしょう。

■ロジックよりも歴史の長いアートの存在

アートはそれこそ有史以前から人類の身近にあったはずです。ロジカリストが存在するずっと前から。
際立ったのは中世です。世界各地で、アートがこれでもかとばかりに花開きましたね。日本だと、室町時代からアートの隆盛が始まり、江戸時代後期にかけてピークを迎えていたようです。
実際に私も最近、「狂言」の面白さにハマりました。たとえば、その狂言を端緒としても、中世の日本人のおおらかさ、ユーモアのセンス、気品の高さが、とびきりだったことがわかります。

そして現在、企業はアート、そしてアート思考に注目しています。
それは、ひと昔前の「パトロン」のような関わり方とは異なり、アートの思考法を取り入れようという、もっと積極的な姿勢です。
理由は、私がこのコラムで言い続けているような「創造性」が、これまで以上に必要なのだと実感しているからです。

でも同時に、アート思考を「論理的に」説明しないと、企業の大半の人は理解しないのが事実です。
いや、理解しようとしない、といった方が良いでしょうか。

本来、アート思考とロジカル思考は、対極にある思考法です。
「うまく説明できないけど、アート思考は良いものだ」と、直観ではわかりながら、
「自分にわかるように、ロジカルに説明しろ」と言うのです。

■「わからない」と言わない

そもそも「自分にわかるように説明しろ」という人が持つ本質的な態度というのは、
「自分はわかる努力はしない。だから、自分の知能レベルに合わせた説明を、お前がしろ」と言っているに等しい、「傲慢さ」の表れです。

こういう人たちが、ファインアートをはじめアート作品に向き合うことはできません。作品、作家に対するリスペクトが、最初からないからです。「自分にわからないものには、価値がない」とすら、思っているかもしれません。

極端な例を挙げますが、内閣府の調べによれば、
「自分には価値があるか」と若い人たちに問えば、1~2割の割合の人が「わからない」と答えています。
海外の回答傾向を見ても、この「わからない」の多さは日本が際立って多いのです。

いったい、自分のことについて問われたとき、自分以外の誰が答えを知っているのでしょう?
自分に価値があることを、親が決めてくれるのでしょうか? 上司が決めてくれるのでしょうか?

「個人の思考の質の低下」が、もう始まっています。もとい、低下ではなく、すでに停止なのかもしれません。

アートが私たちに求めているのは、「自分の感覚を信じろ」ということです。

■直観力をやしなうことの大切さ

「自分にわかるように説明しろ」という人に欠如しているのは、「わかろうとする謙虚さ」です。
わかろうとするには、努力が必要です。

今、従業員ひとりひとりの創造性を高めていくことが、今後の企業社会の課題のひとつであることは間違いありません。

しかしながら、先述のアーティストが言っていたように、そのための手っ取り早いフレームワークだけを求めるのは、真に課題と向き合っているとは思えません。
また、取り入れたところで無駄な投資で終わってしまいます。

アート思考を取り入れるために必要な前提があると思います。
それは、アートと向き合うときに必要な、「自分なりにわかろうとする努力」です。
「なんかうまく説明できないけど、これいい!」とか、「どうも、好きになれない」という感覚から発展させた、自分との向き合い方。
そこで発見したものを、言葉をつむいで表現する努力。

この態度が「わかる努力」ということだと思います。

言い換えると、「直観」によって理解するということですね。
では、そもそも直観とは何でしょう?

(広辞苑より)
直観 intuition:
一般的に、感覚知覚の作用や判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知であり、プラトンによるイデアの直観、フッサールの本質直観等。
直観的:
判断・推理などの思惟作用を加えずに、対象を直接的にとらえるさま。

要するに、
「自分のバイアスに頼らないでものごとをありのままとらえること」

と言えそうです。

ということは、直観力を埋没させているのは、何か?
それは、上記広辞苑の言うところの「思惟作用」ということになります。

みずからの経験、知識が、あるときに強くバイアスとして働き、
「直観よりも理屈を優先させてしまう」ということになるのでしょう。

繰り返しますが、アート思考に必要なのは、「自分なりにわかろうとする努力」です。
そのためには、自分に生まれる直観から目を背けず、埋没させることなく、自分なりに表出させることが必要です。

アート思考を取り入れたいと願う企業社会に必要なのは、
アート思考のフレームワークやカタチではありません。
ものごとに向き合う謙虚さ、
自分なりの感じ方を表現する努力、
それを受け入れる度量、
といった、ソフト面での洗練が、なにより先に必要なのです。

ソフト面での成熟が、かならずその組織の中に「創造の文化」を生むことになると思います。

簡単に「わからない」と言わないようにしましょう。
自分なりに理解するための努力をしましょう。
直観をやしなうための時間と言葉を手に入れましょう。

なにより、アートというのは、そもそもワクワクしながら楽しんで取り組むものです。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
皆様の、ワクワクの未来に少しでもお役に立てればうれしいです。

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<今週の箴言>
(ラ・ロシュフコーより)
あまり利口でない人たちは、
一般に自分のおよび得ない事柄については
なんでもけなす。

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