2020/10/27

頭痛がするほど難しい質問

こんにちは。

 

穏やかな秋晴れが続いていますね。

 

今日本当に久しぶりに都心に出たのですが、都のキャンペーンも手伝ってか、

想像を超える人出でした。

当社から見られる皇居の外堀あたりも、ちょっとずつ紅葉が見られます。

 

今年も残すところ2カ月少々。

WITHコロナの一年間は、あらためてじっくり振り返る価値がありそうです。

 

さて、今回は、私の専門領域からのテーマです。

 

多くの企業の経営者の方々とお話をしているときによく聞くのは、「社員の主体性」についてです。

これはコロナ前から変わっていないようです。

 

要は、「もっと社員には主体性を発揮してほしい」ということになります。

パンデミックにより、世界の隅々まで「パラダイムシフト」が行き渡った今も、そんな嘆きを聞くことは、不思議な感覚です。

 

同時に、焦燥感のようなものも覚えました。

「価値観がひっくり返る」という経験をしたのに、私たちははたして、こんなことをまだ経営者に言わせておいて良いのでしょうか?

企業が「正解」を見つけられず苦しんでいるのに、社員は主体性を眠らせたままで良いのでしょうか?

 

 

■今こそ問われる「あなたは何者なのか」

 

ふだんからコラムで書いていますが、「個」が「組織」をけん引すべきときは、今をおいて他にありません。

「個」が「組織」に対してかつてないほどの影響力を手にしたということは、もはや事実です。

 

ということを認識すれば、とうぜん考えなければならないのは、

「そんな自分は何者なのか」ということです。

 

しかし例えば、こんな風に質問されるのを嫌がる人がいます。

「あなたは、どうなりたいの?」

もちろん、何の前触れもなくこんなことを聞かれれば、多くの人は当惑するでしょう。質問が粗いし、あいまい。あるいは、何を知りたいのかわからない、と彼らは言います。

 

しかし、こうした質問が粗くて曖昧で、意図が不明確だとしても、それに向き合えないという心の状態は、やや深刻な問題を抱えているように思います。

 

なぜなら、こうした質問に答えられるのは、他の誰でもなく「私」しかいないからです。

 

職業柄、私は、わざとこんな曖昧な質問を投げかけることがありますが、

その真意は、「自分と向き合うことに慣れている人か、そうじゃないか」を見極めたいと思っているからです。

 

気持ち良いくらいに明快に答える人がいる一方で、もちろん明らかに嫌がる人もいます。

だからといって、後者の人がダメだと言っているわけではありません。

こうした人たちは、単に、「自分の声を落ち着いて聞く」習慣がないだけだと思っています。珍しいタイプではけっしてないとは思うのですが、こうしたタイプに自分が属しているなと思った人は、注意が必要です。なぜでしょう。

 

 

■みずから封じ込めてきた「直観」

 

それは、永らく自分の内にある生の声、つまり「直感」を封じ込めてきたからです。

忙しかったり、組織から任された仕事が多かったり、関わる人が多かったりと、さまざまな理由があるでしょうが、

永らく封じ込められた直感は、徐々に摩耗され、いずれ働かなくなってしまいます。

 

このような状態になると、人から言われたこと、任されたこと、頼まれたことに応じることだけに精いっぱいになり、結果、人から言われた範囲の中でしか動かなくなります。

自分で工夫してもっと良い仕事をしてみよう、とか、問題点を発見して提言してみよう、といった主体性はまず出てこなくなります。「言われたことしかやらない」と言われる人たちは、こうして出来上がるのです。

 

・直感をみずから封じ込める。

・判断基準が見当たらないから人の声に従順になる。

・人の判断基準で動いている自分、人の言われたことだけをしている自分に気づかず、自分じゃない人でもできることをいつまでも回し続ける。

 

つまり「主体性がない」とは、こうした一連のパターンから生まれる行動と言えます。

 

ここであらためて聞きます。「あなたは何者ですか?」。

個が組織にたいして大きな影響力をもつようになった今、

自分にしかわからない質問に、あえてまじめに取り組んでみるべきだと思います。

めんどくさい、むずかしい、という理由で避けてはいけません。

 

 

■瞑想よりもマインドフルよりも

 

よく言われる「己を知る」ということが、主体性を自由意志を回復させる第一歩です。

もっともシンプルな方法を、ここでお伝えします。なにも、毎日瞑想しようとかマインドフルになろう、ということではありません。

それは、簡単な「セルフコーチング」です。自分自身の中にある答えを探るために、自分に問いかける、という内省のワークです。

 

私は例えばこんなシンプルな質問を、自分によくします。

 

・自分は何ができる人か?何ができない人か?

・自分は何に価値を感じるか?何に価値を感じないか?

・自分の感情が高まるときはどんなときか?感情が動かないときはどんなときか?

・自分はどんなことをするのが好きか?どんなことをするのが嫌いか?

・自分はどんなことを正しいと思うか?どんなことが間違っていると思うか?

(何を受け入れられて、何を受け付けないか)

・自分はなぜ今「これ」をやっているのか?

(「これ」とは、仕事、趣味、子育て、いま手に取っている本など、自分が今関わっている無数の事柄)

・自分は人から何と言われているか?それについてどう思っているか?

・自分は自分の気持ちをどう扱っているか?

・自分は何者なのか?

 

何かを調べようと思えば、スマホでささっと答えが見つかる時代です。

一方でこれらの質問は、スマホでは探せません。そして、頭痛がするくらい、漠とした質問です。

 

しかし、答えがすぐ見つからないものには、それ相応の価値があります。

自分にしか答えられないことに向き合いましょう。主体性と自由を取り戻すために。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

人はみな記憶力の
乏しさを嘆く。

しかし、誰も判断力の
乏しさを嘆かない。

2020/10/20

新しい時代 ふさわしい自己変容

こんにちは。

 

米国の大統領選挙も、本番まで1カ月となりましたね。

先月のテレビ討論の様子は世界中に放映され、多くの人の嘲笑とため息を生んだそうですが、

私はその様子を見ていて、

「そもそも人の話が聞けない人が、一国のリーダーで良いんだろうか?」と思ってしまいました。

 

世界中が注目する中、「恥」をさらすことに抵抗がなくなってしまったリーダーと、

それに慣れてしまった民衆。

以前、映画「帰ってきたヒトラー」を観たとき、最後に主人公が放った一言に、背筋が寒くなった感覚がよみがえりました。

 

 

さて、今回は、常々考察を重ねている「自己変容」について掘り下げます。

自分なりにできるかぎりわかりやすく整理したつもりなので、お読みいただければ幸いです。

 

 

■未来予測本を買わなくなった理由

 

私は毎年この時期、ある類いの本を数冊買って読むことにしています。

しかし、今年は一冊も購入していません。

その本とは、「来年を予測する」本です。

 

2021年の世界情勢はどうなる?

というタイトルを見れば、誰しも気になるでしょう。

私も仕事柄、大まかな世界情勢を押さえておくことは、非常に重要だと思っています。

 

が、特にここ10年ほどの予測本は、内容に新鮮味を感じなくなりました。

理由は、2つあります。

 

1つ。

内容が、前年までの焼き直し程度でしかない、ということ。

 

2つ。

世の中が、その予測をはるかに上回るスピードで変化している、ということ。

つまり、想定外ばかりが起きるようになってしまった。

 

以上の理由によって、予測本の類いに価値を感じなくなってしまいました。

特に、今年のパンデミック。私が読んだ予測本には、一行すら書かれていませんでした。

 

 

「未来を予測し、備えよ。」

 

よく聞く言葉です。

 

でも、こんなこと、できっこありません。

 

 

専門家すら外しまくっている未来予測です。

凡人の私には、とうていムリな話です。

 

したがって、

未来を予測することにたいした意味はない、と私は思うようになりました。

 

 

■想定外が当たり前の時代で

 

私たちが生きている時代は、想定外だらけ、というのが現実です。

パンデミック、自然災害などが、ほんとうに身近で乱発するなか、

むしろ、「今日はなにも起きなくて良かったね」ということが、普通になりつつあるのではないでしょうか。

 

何も起きない日常が、今ほど貴重だと思えるときは、過去なかったように思います。

 

そんなときだからこそ、「今までの生きる態度を見直すべきときが来た」ように思うのです。

 

 

未来を予測し、備える。これはできない話だとして。

 

それなら、これからの生き方は、こうです。

 

「足元の、確実なものを積み上げる」

 

私はそう思うようになりました。

 

 

私の思う自己変容とは、

時代に合わせて、継続的に自分をアップデートさせていくことです。

 

未来に向かい、夢を語ることも、たしかに大切です。

そのことが、多くの人を勇気づけ、希望を芽生えさせることは、間違いありません。

 

しかし同時に、不確実性が当たり前となってしまった時代(VUCA)、

 

夢を見ることと同じくらい、「現実を生きる」ことが、

 

価値を持つようになったのではないでしょうか。

 

これからの時代、今ここにないものを求めるよりも、

確実なものを積み上げ、そこに未来の芽をはぐくむ、という生き方です。

 

つまり、そうした時代に合わせて自己変容も求められるようになっていく、と思うのです。

 

 

■確実なものを取りにいく生き方

 

足元の確実なものとは何でしょうか?

 

それは、手の届く範囲に存在するものです。

 

例えば、

自分が過去から今にかけて、着実に積み上げてきた実績や経験、スキル、知識、人脈。

今自分で所有している、モノ、お金、時間。

今目の前にいる家族、友人、同僚、仕事のパートナー。

今自分を生き長らえさせてくれている、身体、そして感情。

こうしたものが、今確実に足元で確認できること、です。

 

こうしたものは、私たちがこれまでの人生をかけて得てきたものです。

 

今こそ、こうしたひとつひとつと丁寧に向き合い、確実に自分の血肉にすることが必要な気がします。

その血肉によって、みずからが幸福を感じるようになれれば、最高ですよね。

 

なぜなら、不確実がどんどん増している時代だからです。

いつ自分もそうした不確実性に巻き込まれても、おかしくはないからです。

 

今ここにない未来を心配したり、

今ここにないものをほしがったり、

今ここにいない誰かを恨んだり、

 

そんなことにとらわれるのは、

自分の身の回りに、整理がつかないほどの情報があふれ、人もあふれ、モノもあふれ、なおかつ

平和で何も起きないときにやることです。

 

今は、誰もが認める「有事」なのです。

去年までとは、時代の大前提が変わりました。

生活様式を変えろと、政府も口うるさく言ってくるほどです。

 

生活様式のみならず、自己変容というアップデートが、このタイミング強く迫られているように思います。

 

新しい幸せの求め方に、シフトしても良いタイミングかもしれませんね。

 

未来予測は、外れます。

 

確実なものを、取りに行きましょう。

 

来るべきときに備えて。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

運命の恵みを少しも被らなかった人々にとっては、
運命がかくも暗闇に見えることはない。

2020/10/12

この「雰囲気」のなかで正気を保つには

こんにちは。

 

今回も、台風は日本の一部に大きな傷跡を残していきましたね。

被害に遭われた地域の一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。

 

先日、じつに興味深い報告会を視聴していました。

それは、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」によるものです。

 

今回のパンデミックにおける、日本政府の対応を検証した内容でした。

この調査会は、産学が連携したワーキング・グループとのこと。

ということは、「官」(政府)の息がかかっていない、独立した存在であるということです。

つまり、非常にニュートラルに、忖度なく、そして容赦なく、

コロナについての政府の取り組みを分析できた、ということになります。

内容を聞くに、非常に興味深い話が続きました。

 

特に印象に残った調査会の一言は、

「東日本大震災から、なにも学んでいないように思える」

というニュアンスの言葉でした。。。

 

これが何を意味していたのか、資料は、書籍でも発売されるということで、さっそく予約をしました。

組織運営とも共通する「日本モデル」について、私なりに学習したいと思います。

こうした調査会のような存在は、現代社会で自分の理性を冷静に保つために、非常に価値あるものだと思った次第です。

 

さて、かなり前置きは長くなりましたが、今回のトピックは、このお話の延長です。

 

じわじわと社会を覆いつくす「雰囲気」について、考察します。

 

 

■パンデミックで「雰囲気」が生まれた

 

上記の調査会でも触れられていましたが、このパンデミックで白日の下にさらされたのは、なにも政府の対応ばかりではありませんでした。

 

「一般市民の典型的な思考・行動パターン」も、恥ずかしくなるくらい明らかになっています。

 

・フェイク情報の拡散

・トイぺ、マスク、消毒液、果ては食糧にいたるまでの買い占め

・マスク警察

・他県の車両ナンバー警察(そう呼ぶかどうかは知りません)

・東京の締め出し

 

などといった、多くの一般市民の行動は、今となっては「信じられない」と言えるでしょう。

 

しかし当時、大半の人たちがこんなことを大真面目にやっていたことは事実です

 

それは、調査会でも報告されていましたが、

大きな力がひとつの方向に動き始めると、否定的な意見が言えない雰囲気を作る」とのことです。

 

「雰囲気」

これこそがまさに、

細菌のように私たちの脳を侵食し、環境を覆いつくし、思考まで奪う、最大の原因です。

 

戦時中も、真実を知らない多くの市民は、「雰囲気」によってものごとを判断しました。

戦争は善、戦死は美、ぜいたくは敵、洋物は悪、誰もかれも資源を差し出さなくてはならない。

こうしたことを、ほとんどの市民がみずから進んで加担していたことは、今となれば驚きです。

 

が、このコロナ禍で、またしても本質的には同じようなことが繰り返されていた気がします。

 

とはいえ戦時中とコロナ禍では、圧倒的に異なる点が、1つあります。

それは、私たちが手に入れられる「情報量」の差です。

 

つまり、その気になれば、真実には簡単にたどり着く、ということです。

 

にもかかわらず、多くの人は、真実を知ろうとしたのかしないのか、

結局は「雰囲気に乗っかる」ばかりだった、ということ。

 

真実とは何か。

すべては、数字で表されるものです。

 

コロナウィルスそのものの真実は、「受診者」「陽性者」「重傷者」「死亡者」の数の対比で、ものの数分もあれば把握できます。

ちなみにPCRについての真実も、学術論文をネットで引っ張れます。

 

恣意的な情報を湯水のように流すニュースを見ている間に、

 

人の行為を見てヒステリーになっている間に、

 

数分間だけ落ち着いて、手元のスマホで、真実をたどる。

 

簡単なことなのですが、

それくらいのことさえ難しくするのが、「雰囲気」の恐ろしさ、とも言えるのでしょう。

 

ふだんからコラムでも言っていますが、こうしてみると、やはり「人ってさほど進化はしていないのだな」とあらためて確信するにいたりました。

 

 

■正気を保てる人、保てない人

 

私ももちろん、パンデミックとインフォデミックによって、相当な混乱をしたひとりでもあります。

 

こんななかで私にとって大切だったのは、「正気を保つ」ことでした。

 

今こうして、コラムなどを書きながら、

あらためて私なりに振り返り、「雰囲気」が生まれたときにどんな行動を取るかによって、

おおまかに分けられるタイプのようなものがあるのではないか、と思いました。

 

ここからは、少し自分の考えも整理しながら進めますので、もう少しお付き合いください。

 

雰囲気が生まれると、人の行動は、大きく3つに分かれます。

 

1)雰囲気が生まれると、それに乗っかる/飲み込まれる

マスク警察や買い占めに走った人は、すべてここに属します。

よく調べないで、ただ「怖い、怖い」と言っているタイプの人たちですね。

多くの人がここにいるように思います。

 

2)雰囲気が生まれると、それに反発する

敢えて人に迷惑をかける行為をする人たちのことです。

1)よりも圧倒的に少数ですが、残念ながらいます。

 

3)雰囲気が生まれると、それを疑う

バッシングを受けながらも、結局は正論を言っていた人たちのことです。

極めて少数派ですが、確実にいます。

もちろん、結果として間違っていた情報を流した人もいましたが。

 

どんな態度をとるかは、もちろん自分次第です。

にもかかわらず、態度を選ぶ権利がありながらも、それを選ぼうとしない人が多かった、

ということがわかった気がします。

 

そして、その雰囲気の中で唯一「正気を保つ」ことができたのは、3)の人たちでした。

 

 

■雰囲気は感情を支配する

さらにわかったことがあります。

 

それは、「雰囲気は感情を支配する」ということです。

 

感情は多くの場合、理性を凌駕します。

つまり、ある雰囲気が生まれると、大半の人たちは理性を失ってしまう、とも言えます。

 

これは、考えようによっては恐ろしいことです。

意図的に雰囲気さえ作り出せれば、多くの人を都合の良いようにコントロールもできてしまうからです。

SNSやチャットアプリで押し寄せた、「噂」。

まさにこれらが、じわじわと雰囲気を作り出すためのしかけだったとしたら。。。

 

 

■真実を探ろうとする態度が求められる

そしてやはり、雰囲気の中で正気を保つには、「自分で真実を調べる」という、

たいへんシンプルな行動が必要となります。

 

もちろん、たどり着いたものがじつはフェイクだった、ということもあります。

 

しかし、私たちに必要なのは、

真実を得るかどうかよりも、「真を実探ろうとする態度」なのです。

 

少なくともその態度が、身近な人たちの安心感を生みます。

ひとりでも多くの人の、正気を取り戻させることになるからです。

 

私は、組織開発の専門家として、この「雰囲気」というものを扱っています。

そして、雰囲気というのは、じつはいくつかの要素に分解することできます。

わかればわかるほど、正気が戻るような気がします。

 

が、これについては、長くなりますので、別の機会にお話したいと思います。

 

 

雰囲気にのまれそうになったら、正体(真実)を突き止める態度を選択する。

正体がわかれば、対処の仕方だってわかるはずです。

 

今は、ひとりでも多くの人が、雰囲気のストレスから解放されることが重要だと思っています。

 

 

本日はここまでといたします。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

皆様が清々しいを味わえていることを祈りつつ。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

最も微妙な賢明は、最も微妙な愚かさにもなり得る

2020/10/05

”人生戦略”のポートフォリオ

こんにちは。

 

気づけば10月。

今年も残すところ3か月後を切りましたね。

このままいけば2020年は、パンデミックに始まり、コロナと共存する一年を過ごすことなりそうです。

 

そんな環境の激変を実際に体験した私たちは、誰もが

「幸せって何だろう」と自問する機会が増えたのではないしょうか。

 

私自身も、今回ほど社会に湧き出てくるさまざまなノイズに振り回された経験は、かつてなかったように思います。

 

しかしよく考えてみると、世の中はいつだって、タチの悪いノイズ過多、つまり

「インフォデミック社会」であると言えるのではないでしょうか。

 

今回は、そんなインフォデミック気味の世の中で、いかに幸せをつかむのか、

についてあらためて考察したいです。

 

 

そのキーはたったひとつ、

「エネルギーのポートフォリオ」です。

 

”キラーストレス”という言葉がもてはやされていますが、その筋の専門家によると、

私たちは、変化を受け入れようが、拒否しようが、変化そのものに対してストレスを感じる

生き物である、ということです。

 

 

変化そのものがストレスになる

 

私はてっきり、

変化を前向きに受け入れ、前進するパワーに転換していけば、ストレスにはならないと思っていたので、

その事実を聞いたときは、驚きました。

 

ということは、

私自身もこの環境の変化によって、相当なストレスにさらされているということになります。

 

楽しんでいたつもり。

前進していたつもり。

 

しかし、その裏で、

 

夜眠れなかったり。

眠れてもすぐに目が覚めたり。

イラっとすることが多くなったり。

 

確かに、思い当たるフシはあります。

 

こうして私自身の中に起きている変化をよく観察してみると、

ストレスの原因が見えてきました。

 

そして、その原因は、ひとつに集約されてしまいました。

 

 

ストレスの原因は「ノイズ」

 

私にとってストレスの原因は、「ノイズ」でした。

 

ノイズというのは、つまり雑音です。

本質を見えなくする、有形無形の、不必要なものです。

 

しかしタチが悪いのは、

ノイズは一見すると、自分にとって「価値のありそうなもの」に見えてしまうのです。

 

よくよく思い出すと、パンデミックのさなか、私にとってのノイズはたくさんありました。

 

・コロナに関する、数えきれないほどの虚偽情報

・毎日あおるように報道される、無意味な数字

をはじめ、

・ビジネスの先行きを不安にさせる情報

あるいは、

・同業者がどんな動きをしているのか、

といった、今考えるとまったく意味のないことが気になっていた時期がありました。

 

これらすべてを、ノイズと私は呼んでいます。

 

繰り返しますが、ノイズは一見、それがなんとなく価値がありそうに見えてしまうのです。

 

なぜならそれは、

意図的に流されているデマだけでなく、

「良かれ」と思って伝えられる「善意からの情報」も含まれているからです。

 

 

 

ノイズは、自分から大切なものを遠ざける

 

ノイズは、自分にとって本当に大切なものから、自分を遠ざけようとします。

 

特に今回のように、あまりに多い情報があり、それによって強いストレスにさらされ続けると、

どんどん理性が薄らいでしまい、自分にとって「必要か、そうでないか」の判別がつかなくなります。

 

いかにも信じやすい情報が多く

人のことが気になったり、

焦ったりして、結果

本来自分の強みでないところで勝負しようとしてしまったり、

余計なことを始めてしまったり、

と、自分の求めているものから、ものすごく遠回りしてしまいます。

 

私も今回のパンデミックのさなか、本来の自分の目的に立ち返るまで、

最初の1カ月はそんな状態を味わいました。

 

ですから、

このノイズというものさえ排除できれば、

私はもっと早く、確実に、自分にとって必要なものを手に入れられるはずだ、

と思ったのです。

 

 

エネルギーの転換先

 

私なりに苦しんだりもがいたりして、分かったことがありました。

 

それは、

幸せをつかむためには、

エネルギーのポートフォリオをどう組むか

ということです。

エネルギーというと、にわかに”スピ系”の匂いがしだすかもしれませんが、

私が考え、実践していることは、現実的です。

 

エネルギーは目に見えません。

しかし、それは「自分で実感できる何か」に転換できます。

 

私が考えるエネルギーの転換先は、こうです:

 

1)お金

2)時間

3)所有物(モノ)

4)体力

5)集中力

 

この5つのエネルギーをどうやって配分するかが、人生の豊かさを決定すると思っています。

 

人生戦略のための、エネルギーのポートフォリオです。

 

 

”人生戦略”とは、エネルギーのポートフォリオ

 

誰しも、持てるエネルギーは限られています。

 

朝起きて、夜寝るまでに、エネルギーは徐々に、確実に消費されて、なくなるようにできています。

そして食事や睡眠によって、エネルギーはまたチャージされます。

 

つまり、

限りある資源を、どこにどう使うのか

ということが、人生の戦略となります。

 

そして、そのエネルギーを投じる先を、間違えてはいけません。

 

自分にとって本来は必要ないこととは、例えば。

 

・人の悪口や陰口をたたく/不平不満を言う

(時間、体力というエネルギーの浪費)

 

・自分に向いてないことをやり続ける

(時間だけでなくお金、体力、集中力の浪費)

 

・意味のない会合や飲み会に出る

(ほとんど5つのエネルギーの浪費)

 

などなど、

 

限りある資源をムダなものに使ってしまえば、

 

本当に自分が投じるべきだった大切なことに回すエネルギーが

 

残されていない、という事態を招きます。

 

ゲームなどで、最初のザコ相手に必殺技を使い切ってしまい、

ボスキャラが出てきたときにはすでに瀕死状態。

 

こんな事態とよく似ています。

 

本当に自分にとって何が大切なのか。

人生にとって何が幸せなのか。

 

それさえ分かっていれば、投じるべきエネルギーと、そのポートフォリオを組むことは

難しいことではありません。

 

そうです。まずは、「己を知る」ということですね。

 

ふだんは省エネ。そして、

いざというときに持てるかぎりの資源を投じる。

私は今、こんな生き方を選んでいます。

 

皆さんは、いかがでしょうか?

 

 

ノイズから解放され、幸福を実感できる毎日が来ることを祈って。

 

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

人間はときに、

 

他人と別であると同じほどに

 

自分も別人である。

コーチングで東京で人気の株式会社リバース・フロウのお知らせをご覧ください

ビジネスコーチングを受けたことのない方も、ひとりで解決できない課題があるなら、まずはお気軽にご相談ください。
個人の能力が高いはずのプロスポーツ選手にも、必ずコーチがついています。ビジネスコーチとは、クライアントの能力を引き出し、第三者的な立場から冷静にアドバイスを送り、親身になってビジネスの目標達成へと導く心強い存在です。
東京の株式会社リバース・フロウのお知らせページでは、各種メディアへの掲載情報や取材情報などもご紹介しております。どんな会社がどんなサービスを提供しているのか気になる方も、ぜひお知らせページにてご確認ください。

CONTACT

お電話でのお問い合わせ 03-4540-4327 営業時間 月~金曜日 8:30~19:00

メールでのお問い合わせ

お問合わせ内容ごとにフォームを設けております。
以下のページよりフォームをお選びください。

お問い合わせはこちら