2020/11/23

”好不調の波”が大きい人は信用できない?

こんにちは。

 

この3連休は、全国的に天候に恵まれましたね。

 

国内では新型コロナ拡大の第3波と大騒ぎですが...

個人的には、もうこれ以上、新型コロナに関する情報を報道することに意味はないのではないか、と感じている今日この頃です。

7カ月も前から私たちは、自分たちがどんな対策ができるのかを学んでいますし、それ以上の新たな対策は提唱されていません。

ですからこれ以上、何を騒いでも今は意味がない気がしています。

情報には多く触れない方が良いときもあるのだと、私は思っていますし、今がその時期だとも思っています。

 

さて今回は、そんな世間の「気分の浮き沈み」を眺めていて、洞察を得たことを書いています。

前々回の「天職」、前回の「職業観」についてのお話は、主に、エグゼクティブの方から若手社員に向けて語っていただきたい、私なりの真理をお伝えしました。

琴線に触れた方々から、熱いメッセージやリアクションをいただくことが増えて、こうしたテーマについて、多くの方々が同じような感覚をもっているのだな、とうれしく思っています。

 

さて、今回も、やはり若手向けに語っていただきたいシリーズです。

 

 

私が「好不調の波が大きい人は、まだまだ二流だ」と思う理由についてです。

 

 

■良いときもあれば、悪いときもあるらしい

 

世間には、「人生、良いときもあれば、悪いときもある」という通説があります。

 

特に、それに異を唱えるつもりはありません。

たしかに、程度の差こそあれば、調子の良いとき悪いとき、というのはあるのでしょう。

 

そのときの体調、メンタルの調子、付き合っている人や影響を与えてくる人、など様々な原因があって、そのときのパフォーマンスに波をつくるものです。

 

しかし、私があらためて考えたいのは、

若手社員に向かって、「仕事には、好不調の波がある」と本当に言い切ってしまって良いの!?

 

ということです。

今回はそれについての考察です。

 

 

■好不調がある人は信用できない?

 

私たちのキャリアや人生では、好調なときもあれば不調なときもあります。それはまるでバイオリズムのように、上下動を繰り返しているように見えます。

そしてできれば、好調である時期をできるかぎり長く維持し、不調のときはすぐにでもその時期を終わらせたいと思うものです。しかし...

 

「好不調の波があるのは当たり前」という一般的な認識は、真実なのでしょうか?

 

私は、非常に疑わしいと思っています。

良い調子、悪い調子、というのはたしかに自らが実感をすることもあれば、そんな自分を見て「彼は今、絶好調だね」あるいは「最近、スランプ気味だね」と周りの人たちが評価することもあります。ところが、

 

好不調があるというのは、ある一面から見ると、「不安定」な状態とも言えます。

 

もっといえば、ビジネスパーソンとして好不調の波がある人は、見る人から見れば「信用できない」と思う人もいます。その理由は、単純です。「ビジネスは、安定して一定の成果を挙げ続けないといけない」からです。

 

私は30代の頃、こんなことを経験しました。

会社員として営業を担当していた頃の話です。当時のその会社は、営業の統括本部から支店ごとに売上目標が割り振られ、それが毎月、個人のノルマとなって降ってきていました。ほぼどんな企業とも大差のない、目標の与えられ方です。

 

私の同僚の一人に、とても動きが“派手”な営業担当がいました。

派手、というのは、売上の好不調の差が激しいという意味で、ある月は目標を大きく上回ることもありましたが、ある月になるとまったくと言って良いほど売上をつくることができません。

毎月の営業会議では、良くも悪くも彼は目立っていました。「先月はあれほど売り上げたのに、今月は見る影もない」という印象を、私も抱いていました。

ただ、明るく人懐っこい人柄で、顧客からも同僚からも評判は上々だったので、たとえ売上が悪く、目標にはるか達していないときでも、必要以上に本部から責められることもありませんでした。

 

そして、そんな彼の年間の平均売上というのが、意外なものでした。本部から、全国の年間売上ランキングが発表されると、彼の位置はおおむね、いつも“中位の中”くらいに収まっているのです。いわゆる「普通の営業マン」の成績なのです。

いつもたくさんの人からの注目を集める存在であるはずなのに、結果はいたって普通、なのです。

 

では、今の私の経営者という立場から、当時の彼に大きな仕事を任せようと思うか、と問われれば、答えは明らかに「No」です

 

理由は単純で、「不安定だから」です。

あれほど目立つ動きをしておいて、結果は悪くはないが良くもない。そうであればむしろ、見ているこちらをドキドキハラハラさせることなく、いつも淡々と「普通の成果を挙げてくれる普通の人の方」が、ありがたい存在とも思えます。

余計なストレスを与えられなくて済みますし、何より、見方によっては「安定感がある」と見えるからです。

 

気分や体調、あるいはプライベートの諸事情に振り回されることなく、一定の成果を挙げ続ける

という意味では、この「普通の人」は実際、非常に貴重な存在だとも思うのです。

 

 

■意外と知られていない信頼を勝ち得る原理原則

 

「好不調があるのは当たり前」という認識が疑わしいのは、そんな理由からです。

そしてじつは、そんな見方をするのは私だけではありません。企業の経営側として現場に目をやったとき、「不安定な要素はできるかぎり排除したい」、と思うのはやはり当たり前の感覚なのです。

 

それが証拠に、皆さんの在籍する会社の役員の顔を思い出してみていただきたいのです。

企業役員ともなれば、さぞかしカリスマがあって、人の何倍も仕事ができる人なのだろうと思うかもしれません。しかし実際は、皆さんが今想像した通りです。

 

誤解を恐れず言えば、「顔を思い出せるか出せないか」くらいの存在感なのではないでしょうか?

仕事の好不調の波をできるかぎり抑えて、一定の成果を出し続ける人こそが、役員にまで登り詰めることができる人たちです。

反対に、カリスマをもって、結果の激しい振れ幅で周りをドキドキハラハラさせるタイプの人たちは、行けても“部長どまり”なのです。

 

なぜなら「安定感」というのは、誰もが発揮できるものではなく、安定感こそ、信用を勝ち取るための最大のカギだからです。しかも、その原理原則を知る人は、無自覚でやっている人以外、ほとんど知ることのないものだと思います

 

好調な時期を長く維持することができれば、たしかに理想でしょう。しかし現実として、それは難しいのではないかと思うのです。

 

好調を長く維持するよりも、好不調の波をできるだけ緩やかに抑える。

 

これこそが、周囲の信頼を勝ち得る原理原則だと思います。

 

いつ、どんなことがあったとしても、振り回されることなく、淡々とやるべきことをやる。

その気になったから、とか。

モチベーションが上がったから、とか。

切羽詰まったから、とか。

 

そんな理由で仕事を進めたり止めたりするのであれば、当然ですが、一定の安定した成果などつくれません。

 

 

■決め手は「安定感」

 

気分が悪かろうが、

プライベートや人間関係で嫌なことがあろうが、

体調が多少悪かろうが、

いつも、決められたことを、決められたときに、淡々とやるのです。

 

特に、この時期の世間のように多くの人が浮足立っているときに、そうした姿勢を貫く人がいれば、その姿勢こそが周りを安心させ、信頼を引き寄せることになるでしょう。

 

例えば、誰しも経験があるように、

嵐や台風に見舞われて不安でしかたない夜。ラジオをつけたとき、いつものナビゲーターがいつもの調子で語りかけてくる。そんなとき、どこかホッとしませんか?

何が起きようと、例外なくブレない人というのはつまり、「安定感」を感じさせるのです。

 

私もこのコラムを、何があっても119回まで毎週書き続けきました。

それはやはり、浮足立った世間の中で、少しでも「冷静」であることを自分にコミットするためであり、

何があってもいつも一定のリズムでコラムが届く、というわずかでも安心感を皆さんに得ていただきたいためでもあります。

 

けっして、そのときの気分でやるやらないを決めない、ということを自分で決めています。

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

自己の腕前を人に示さないことこそが真の腕前である

2020/11/16

職業観をどう社員に伝えますか?

こんにちは。

 

先週のコラム「天職なんてない!」というテーマで綴ったところ、これまでにないほどの反響をいただきました。

直接私に感想を伝えてくださった方々に、心から感謝いたします。

 

”職業観”というものは造語であるということはその際にお伝えしましたが、

 

今回は、「エグゼクティブから若手へ」その②としました。

あるいは「先輩から後輩へ」、「親から子へ」でも良いと思います。

 

エグゼクティブならとうぜん持っているものであろう職業観について、若手に伝えていただきたいことが、まだまだあります。

 

思い出してみていただきたいのですが、

皆様が職業観を獲得したのは、何がきっかけだったのでしょうか?

 

参考として今回、私が体験したエピソード、そしてある寓話をご紹介します。

これらを通して、ぜひみずからの経験を振り返るきっかけにしていただければと思います。

 

 

■忘れられないエピソード

 

最初に、私が体験したエピソードです。これは、私が30代の半ばの会社員時代、初めてひとつの部門を管理する立場になったときのこと。

新任管理職の任命式の際、当時の役員の一人から言われた言葉です。

 

<ある役員からの言葉>

 

「君たちは何のために仕事をしている?給料とは何だ?

ん?君はどう思う?

 

私にとって仕事とは、そもそも嫌なものだ。やりたくもないこと、ムリしなくてはならないことばかりで、ストレスばかり感じる。そう。仕事とはそもそも苦役。苦しいものでしかない

 

だからこそ、会社は君たちに給料を払っているし、これからは今までよりももっと高い給料を払うことになるんだ。いわば給料とは、会社が払う“慰謝料”なんだ

君たちにとっては、やりたくもないこと、しんどいことをやっている代わりにもらっている“慰謝料”なんだよ」

 

役員からの言葉はそこで終わりでした。

もし皆様がこの言葉を聞いたなら、どう思ったでしょうか?

 

私は当時、この言葉に大きな衝撃を受けました。このあとにせめて救いのある話が続くのかと思い、次の言葉を待ったのですが、本当に話はそこで終わりました。

冗談かと思ったほどです。

 

恐らくですが、この役員は、私たち新任部門長たちを奮い立たせようとして、そう言ったのかもしれません。

しかし残念ながら、そんな狙いとは裏腹に、少なくとも私のモチベーションは大きく急降下したのを、今でも鮮明に覚えています。うんざりした、という表現がぴったりな瞬間でした。

 

しかし同時に、もしかしたらそこにいた私以外のメンバーは、

「そうか。慰謝料なのか。だったら嫌なことをこれまで以上にやらされても、文句は言えないよな」と、

反対に納得をしたのかもしれません。

 

そして、もしかしたら役員の(裏の)狙い通り、

ずっと彼らを会社につなぎとめておくことができたのかもしれません。

 

いったいなぜそのような発言をしたのか、今では知る由もありません。

でも、これが、職業観を人に押しつけられる怖さなのです。

特に権威のある人から、一方的に価値観を押しつけられるようなことになれば、多くの素直な人たちはそれを鵜呑みにしてしまうことでしょう。

 

押しつけられるのではなく、主観で良いので職業観というものを持つことの大切さを、おわかりいただけたでしょうか。

 

 

■真説『3人のレンガ職人』

 

ここで、職業への向き合い方がよくわかるイソップ寓話から、『3人のレンガ職人』について簡単に紹介します。

 

この話は非常に有名で、多くの人から語られる美談とされています。しかし、一般的に知られているこの話には、続きがあるのをご存知でしょうか。

 

ここでは、その続きも含めての紹介です。

 

『3人のレンガ職人』(フルストーリー)

 

中世のヨーロッパ。旅人が3人のレンガ職人に出会います。旅人がレンガ職人にひとりずつ、「何をしているのですか?」と聞きます。

1人目は、「見ればわかるだろう。親方から言われてレンガを積んでいるんだよ」と面倒くさそうに答えました。

2人目は、「レンガを積んで壁をつくっているんだ。大変だが賃金が良いからね」と答えました。

3人目は、「歴史に残る大聖堂を作っているのさ。完成まで100年以上かかるが、いずれここは、たくさんの人が祝福を受け、癒される場所になるんだ。こんな仕事に就けて光栄だよ』と答えました。

 

(ここまでが一般的に知られている話です。以降、つづき)

 

それから10年が経ちました。3人のレンガ職人はどうなったでしょう。

1人目は、10年経っても相変わらず文句を言いながら、レンガを積んでいました。

2人目は、さらに賃金は高いけれど、危険のともなう屋根の上で仕事をしていました。

3人目は、知識と経験を積んで現場監督となり、たくさんの職人を育てていました。そして、出来上がった大聖堂には彼の名前がつけられたそうです。

 

レンガ職人の話は、ここで完結です。

 

特に10年後の3人のレンガ職人については、あまり知られている話ではありません。

しかし、後半のこの部分こそ、職業観を選択することの大切を語っていると思うのです。

 

「言われたからやる」のか

「お金のためにやる」のか

「意義を見出してやる」のか

 

すべては、みずからが選択できる態度です。

3人目のレンガ職人はまさに、みずからの仕事に「天職」を見出していました。

 

もちろん、10年後など簡単に予測できる時代ではもはやありません。しかし、だからといってみずからの職業観を他人に選ばせる必要など、まったくないのです。

 

貴方は、自分の職業に対して、どのレンガ職人の職業観を選択しますか?

 

 

■結論。私の職業観

 

そして何より、もし自分が、前出の役員のように、

若手社員に「仕事とは何か?」を伝える立場に立ったとき、何と伝えますか?

 

ちなみに私は、同じ立場になったときは、こうお伝えしています。

 

(前出の役員と同じストーリーで言葉を変えて)

「仕事とはそもそも楽しいもの。もちろん、時にはしんどいときもあるけれど。

 

そう。仕事とは、やればやるほど、色んな学びと成長を実感させてくれるもの。

 

なのに、そこには給料までついてくる。いわば給料とは、学ばせてもらいながら、もらえる

 

おまけ(プレミアム)”のようなものだ!

 

経験を積んで、学べるうえに、さらについてくる、特大のおまけみたいなもの」

 

結論。

 

私の職業観は、

 

「仕事とは”自己実現”と”社会の幸せ実現”のために、際限なく楽しめるもの」

 

という主観を持っています。

 

 

何かの機会に、皆様の職業観を聞かせていただければうれしいです。

 

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

われ自身がいだいている自信が、他人に対する信用を芽生えさす。

2020/11/10

「天職はない」と私が思う理由

こんにちは。

 

米国大統領選挙に決着がつきましたね。

日本では「人間、引き際が大切」という美徳があります。たしかに不透明な部分が多い選挙ではありましたが、はたして現大統領は、どんな引き際を見せてくれるのでしょうか。

 

さて、今回のテーマは、いつものようにエグゼクティブ向け、というよりも、

「エグゼクティブから若手に伝えてほしい」と思っている内容をつづります。

 

まずは、エグゼクティブの方々にお願いがあります。

若手社員たちに対してけっして、「主体性を発揮しなさい」とは言わないでください。

 

理由ですが、

彼らの大半が、そんなことを言われなくてもわかっているからです。

 

それよりも、そんなエグゼクティブに問われるのは、

「主体性を発揮するってどういうことか、説明できますか?」

ということです。

「主体性を発揮するとは、こういうことだよ」

と、自らが行動によって示しつづけることです。

 

具体的に、明快に、伝わるように、心に響くように、伝えられないのであれば、

黙っていた方が御身のためです。

 

この「主体性」という言葉に代表されるように、職場には多くの

 

「意味も明確にわかっていないのに、人には伝えたくなる言葉」

 

がたくさん存在します。

 

・社員全員、一丸となって

・多様性を活かして

・創造性豊かに

 

などなど。

 

以前からこのコラムでは、

エグゼクティブにとって「言葉の吟味」をすることの重要さをお伝えしていますが、

よくある常套句や慣用句ばかりを若手社員に投げかけても、

どこか空々しく響いてしまうのは、

こちらが、「借り物の言葉」ばかりを使っていることが、彼らに見透かされているからです。

 

そうした中で、私からエグゼクティブの方にお願いしたいことは、

あるひとつの事実を社員の皆さんに伝えてみていただきたい、ということです。

 

 

それは、「職業観を鍛えなさい」ということです。

 

主体性を発揮しろとか、強みを活かせとか、失敗を恐れるなとか、

こうした常套句よりも、

もっとひとりひとりの心の奥底に時間をかけてしみわたるような投げかけです。

 

職業観、というのはよく聞く言葉です。そしてこの言葉は、現代の造語で、もともとは「職業意識」という言葉から派生しているようです。

 

職業意識とは広辞苑によると、

「職業に従事する者が、自己の職業に対していだく特有の意識や考え方」と記されています。

 

では、職業観という言葉は、ここからどういう方向に派生したのか、ということですが、調べていくとおおむね「職業に対していだくイメージや、感じる価値」といった意味に集約されます。

 

つまり、職業観とは、

自分自身が自分の職業というものに対してどんな価値を感じ、どんなイメージを持つか、

という、あくまで主観的な職業への見方、と言えるでしょう。

 

もっとわかりやすく言えば、「自分の職業に対して自分なりの明確な主観を持つ」ということが必要です。

 

今あらためて、以下の質問について自分なりの答えを考えさせてみてください。

 

・自分の職業の価値とは、何だと思いますか?

・その価値を確かなものとするために、何ができますか?

 

答えが出るまでに、それなりの時間がかかる質問だと思います。

世の中には、数限りない職種が存在します。誰しも、縁あってその中の一つあるいは二つを選び、みずからの職業としています。

 

とはいえ、むろん、なかにはこう答える人もいるでしょう。

「自分で選んだのではない。会社によって配属されたから、今の職業に従事しているんだ」と。

たしかに、それも事実ではあると思います。

 

しかし、その考え方に固執するかぎり、上記の質問には答えを見出せず、確固たる職業観を持つことは難しいのではないでしょうか。なぜなら、職業観とはあくまで“主観”だからです。「職業を、人に押しつけられた」と考えていることは、「自分でない外部の意図に依存している」という態度を選んだということになります。

 

職業観が持てない、つまり職業に対して“依存体質”を持ったままだと、いつまでも「言われたことしかやらない」、あるいは「不平不満、批判ばかりもらす」という態度をとり続けることになります。

誰かに言われないと動けなくなってしまえば、変化を読み取る力を失います。変化に対して反応ができなくなり、会社や組織が大きく動く際に、かえってお荷物になってしまうことだってあります。

 

繰り返しますが、職業観とは、みずからが選ぶ主観で良いのです

そしてその主観によって、自分の職業に誇りを持ち、自分自身に自信が持てる状態、いわゆる“自己効力感”を持つことができれば、尚良いのです。

 

そして、自分なりの職業観を彼らが持つための、最初にして最大の決め手を紹介します。

 

それは、

天職なんて存在しない」という事実を、

腹の底から納得することです。

 

まるで、若手の夢を打ち砕くような表現に聞こえるかもしれませんが、なぜ私がそう考えるに至ったかを説明します。

 

私は今でこそ会社を経営している身ですが、おおかたの読者の方と同じように、私も会社員だった時代がありました。

23歳で社会人となり、42才で起業するまで、じつに6回の転職を繰り返してきました。そんな私の転職理由といえばほぼ一貫したもので、「今よりもやりたい仕事が見つかったから」といったものです。

 

しかし、特に20才代の私について正直に白状すれば、

「今の仕事は自分に向いていない。もっと外に、自分らしさを発揮できる仕事があるはず」と、自分を信じ込ませていたように思います。

 

自分に与えられた仕事と役割に、外にはもらさないものの、いつも一定の不平不満を感じ続けていました。

目の前の仕事は、本当に自分がなすべき仕事ではない。自分が人生をかけて取り組むべき仕事は、外の世界のどこかにある、と。

そして、いつも外部セミナーや勉強会など、探しては通い続けていましたし、特に20才代のときはそうした落ち着きのない動きが顕著だったように思います。

 

たしかに、転職を通してさまざまな職業を経験しましたし、そのおかげで今の自分が多種多様な業界についても構造の理解が素早くできる、という力を得たのを感じています。

 

しかし一方で...

当時、「たったひとつの仕事すらモノにできない」自分に、劣等感のような感情を抱くようにもなっていました。

 

年齢だけはそれなりに重ねているのですが、ひとつの仕事に対してじっくりと腰を据えて向き合う、ということから遠ざかってきたためか、あるときふと、「自分には職業観というものがない」とういうことに気づいたのです。

それは、30才代ももう半ばに差しかかろうとしていたときのことでした。心の底から焦りました。

 

そしてついに、職業観というものについて“悟り”のような感覚を得たとき、転職をすることをやめました。

 

その悟りとは、「天職などなかった」ということです。繰り返し“天職”を求めて“転職”を重ねてきてたどり着いたのは、そうした元も子もない事実です。

 

天職など探したって存在しない。これが私の悟りです。

 

しかし同時に、ほんの一握りの人たちは実際、「これが自分の天職だ」と断言できるような、生き生きとした働き方をしているのも事実です。

そんな彼らと当時の私には、どんな決定的な違いがあるというのでしょうか。

 

それは、

「今のこの仕事こそが天職である」と、自分を思い込ませることができるか、という違いです

 

つまり、どんな仕事であれば、今与えられているこの仕事こそ、自分の天職だと、みずからを確信させられるほどの強い意志があるのではないか、と思うに至りました。

 

外に天職を求めているうちは、天職は見つからないのです。

じつは天職とは、今目の前にあるこの仕事なのだと、私は自分に言い聞かせるようになっていきました。

 

そして、その感覚がしだいに自分にしっくりくるようになると、面白いことが起き始めました。

 

まず、自分の仕事そのものに感謝の念が湧いてくるようになりました。

うまくいってもいかなくても、この天職を通して自分に起きるさまざまなことが新鮮に感じられ、自分が天職を通して成長させてもらっている、なにより、天職に巡り合えているという、えも言われぬ感謝の念が湧くのです。

 

そして、変化はまだまだありました。

やはり、仕事自体が楽しく感じ始めます。天職だと思っていると、この仕事の色んな側面に好奇心が湧いたり、ちょっとした課題に気づいたりするようになりました。

 

つまり、そこかしこに自分なりに手を施す余地が生まれ、創意工夫の芽が見つかる、という状態です。

 

さらに良い変化は起きました。職場での人間関係が、劇的に良くなったのです。

これは今の私にとっても、かけがえのない財産となりました。それまで反目していた上司、いらだちを覚えていた部下、こうした職場仲間と、仕事をもっと楽しむため腹を割って話すことに、抵抗を感じなくなったのです。

 

こうして、私はようやく自分なりに職業観を持つことができるようになりました。

 

今の仕事こそ天職。職業観を鍛えるために私がやったのは、たったひとつのこと。

仕事に対する見方を変えた、それだけです。

 

お金も時間も、人の助けもいらないのです。今、この瞬間に、できることです。

もちろん、仕事に対する多少の不平不満は誰だって持っているでしょう。ただ言えるのは、職業も人生も、「自分が今何を見ているのか」によってすべてが決まる、ということです。

 

「つまらない仕事だ」と見るのか、それを飲み込んで「素晴らしい天職だ」と見るのか。

たったそれだけのことで、後にやってくるリターンは、天地ほどの差があるでしょう。

 

 

 

今回は長いコラムになってしまいしたが、

では具体的に、私が提唱している、仕事を天職にかえるための取り組みは、機会を変えてお伝えできれば幸いです。

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

人間は互いにだまされ合っているのでなければ、
社会生活を持続していく事は出来ない。

2020/11/03

チカラの“だだ洩れ”を防ぐために

こんにちは。

 

ワーケーション先の、当社の研修施設にてこのコラムを書いています。

先週末は、当社スタッフやパートナーのみなさまがいらっしゃり、仕事のこと、人生のこと、さまざま語り合いました。

ここに来てくれた方々が、元気と安らぎを感じていただければ何よりに思います。

 

 

さて先日、「エネルギーのポートフォリオ」という考え方について書いた記事を、覚えていらっしゃいますでしょうか?

 

■シナジーポートフォリオとは

 

みずからの目的を定めたうえで、「自分のもつ有限のエネルギーを、いかに効率的な配分にしてシナジー(相乗効果)を生み、目的に到達するか」という、自己変容の土台となる考え方です。

 

人生戦略とはつまり、

・体力

・集中力

・人間関係

・時間

・お金

・所有物(モノ)

これら6つの限りあるエネルギーをどう配分するかで、その豊かさが決まるという内容をお伝えしました。

 

この、いわゆる「シナジーポートフォリオ」の考え方だけ切り取ってみると、

「自分にとってムダなものはさっさと捨て、必要なことだけに関わればよい」という、どこか割り切った、ドライな印象を持たれるかもしれません。

 

 

■他人の人生を生き人たち

 

しかし、その意図するところは違います。

 

シナジーポートフォリオの真の目的は、「他人の人生を生きることから、脱却する」ことです。

 

他人の人生を生きる、とはどういうことでしょう。

それは、「自分の意思で決めていないことばかりに関わり続ける」という生き方です。自分の意志で決めたこと、自分がすすんで関わりたいと思って決めたことではなく、外部や環境の意思によってなすがままに与えられたことをやるだけ、という状態です。

 

よく「言われたことだから仕方ない」、「頼まれたことだから、やらないと」と言って、渋々、目の前のことに取り掛かる人たちがいます。

しかしこうした人たちは、

「投じるエネルギーの濃淡を、自分の意志で決めていく」ということができていません。

 

自分にかかわる何もかもを、「自分がやらなければならないんだ」という錯覚を起こし、“ダダ洩れ”のごとく全方位的にエネルギーを浪費していく。

すると、周囲はその人をどう見るでしょうか?

 

良く言えば「面倒見の良い人」、

悪く言えば、「何でもやってくれる、都合よく使える人」

あるいは「いつも何かに振り舞わされて、くたびれている人」に見られてしまうこともあります。

 

組織に身を置いていれば、もちろん意に反して引き受けざるを得ない頼まれごとは、少なくないでしょう。それを拒否することは現実的には難しいにしても、エネルギーを投じる“濃淡”にメリハリをつけることはできます

 

 

■エネルギーの投下先を、どう選べばいいのか

 

シナジーポートフォリオを意識してものごとに取り組むというのは、

あらゆることに「必要・不要」のレッテルを貼り、不要なことはバッサリ切り捨て、必要なことだけに関わるという姿勢を指しているのではなく、

 

「みずからの意思で選び、それに意義を見出す」という姿勢を意味しています。

 

繰り返しますが、ただ目の前に来たものに何の意図も持たず取りかかるという、他者の意図によって操作される自分から脱却し、エネルギーの消耗を最小限に抑えることに狙いがあるのです。

 

ここで、具体的に、投じるべきエネルギーの感覚的な“濃淡基準”について示します。

 

それは、「自分で選んだこと」かどうかと、「自分にしかできない」かどうか、という2つの軸で測ります。

 

 

■感覚値で測る優先基準の決め方

 

例えば、上記の2つの軸で、仕事を見てみてはいかがでしょうか?

すると、以下のように、おおきく3つの「取り組み姿勢」に分類できると思います。

 

  1. 1)「自分で選んだ」 × 「自分にしかできない」
  2. もっとも集中すべき最優先事項であり、主体性を最大限に発揮できる機会です。
  3. 「他人から頼まれた」 × 「自分にしかできない」
  4. 次に優先してエネルギーを投じるべき事項です。みずからの意思で選んだことでなくとも、それに取り組むことで意義が生まれます。自分自身の価値を伸ばす機会です。

 

  1. 2)自分で選んだ」 × 「他人でもできる」
  2. よくあるパターンですが、要注意です。ここは、”趣味の範囲”でやるべきことです。
  3. よくひとつの仕事を「好きだから」とやり続け、いっこうにそれらしい成果を挙げていない人を見かけます。
  4. が、仕事でこの領域に関わっているかぎり、自己満に浸っているのと何ら変わりない状態です。
  5. 3)「他人から頼まれた」 × 「他人でもできる」 
  6. 本来、この領域に関わるのは、自分にとっても周りにとっても不幸を生みます。
  7. 例えば職場であれば、「適材適所」が無視されて、「それがしくみだから」「それが昔からのやり方だから」という理由で割り当てられた、自分には向いていない仕事です。
  8. できればすぐに、それができる人に譲ることをお勧めしますが、やむを得ず関わる必要がある場合は、「淡々と、時間をかけずに、さばく」というやり方をお勧めします。

以上、エネルギーの浪費を防ぎ、有効なポートフォリオを組むための基準です。

 

外部や他人の意図に振り回されず、エネルギーの相乗効果によって、主体性と自由意志を取り戻しましょう。

 

 

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

幸福な人々の節制は、幸運が彼らの気質に与えたおだやかさからくる

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