2021/02/23

それはマナー違反です

こんにちは。

 

つらいです。花粉症状がとにかくひどいです。。。

処方されたクスリもあまり効かず、夜中に何度も目覚め、目も鼻もまるで感覚を失ったかのようです。

こういうときは、なかなか集中力も続きませんね。

次男坊が「日本の杉の木をすべて切り倒す」のが夢の一つになったそうですが、気持ちがわかります(笑)

 

 

さて今回は、ぜひリーダーである皆様から若手に伝えてあげてほしいことがあります。

しかも、皆様にとっては、自信をもって伝えてあげられるお話になっていると思います。

 

 

それは、今さら「マナーの大切さ」についてです。

 

■いまさらだけど「マナー」の話を

 

とはいっても、ここで私がマナー講師のまねごとをつぶやくつもりはありません。

 

結論を先に言いますと、私は

 

マナー = コミュニケーション = 相手に対する思いやり

 

だと思っています。

 

私は仕事柄、さまざまな業種業態の会社に訪問することが多いのですが、

業界によって、従業員のみなさんの振る舞いに、やはり特徴があります。

 

なかでも私が特に気になってしまうことが、

 

「気軽さ」を勘違いしている人たちが、特定の業界に多い、ということです。

 

 

■「気軽さ」と「親しみやすさ」は違う

 

最初に申し上げれば、

 

「気軽さ」と「親しみやすさ」はまったく別もの

 

だということです。

 

業界独特の風土、つまり、よりフラットな関係でいられる職場環境にいると、

特にこの勘違いがおきます。

 

こうした風土に身を置いている若手社員は、

日ごろから敏感に最先端の情報に触れており、おおむね優秀な人たちが多いです。

 

上司とも「さんづけ」あるいは「ニックネーム」で呼び合って、とてもフランクな職場と言えます。

 

たしかに、働きやすい職場と言えるでしょう。

 

しかし、彼らにはわかっていないことが、ひとつだけあります。

その職場環境は、先輩たちが意識して作ったものだ、ということを。

 

けっして自然のなりゆきで、今のフランクな職場が出来上がったわけではない、ということです。

 

上司やそのまた上司が、上下関係に生じるムダをなんとか減らしたいと試行錯誤した結果、

今の職場の雰囲気ができている、ということを、彼らはあらためて知らなければなりません。

 

 

「フランクな職場だから、マナーを欠いても良い」というにはなりません。

つまり、そこに身を置く若手は、あまり調子に乗らない方が良いということです。

 

 

 

■「気軽さ」=「なれなれしさ」にならないために

 

先ほども述べたように、私はさまざまな企業を訪問していますが、

こうした「勘違いされた気軽さ」ゆえに、

マナー違反とすら思わせる場面に、何度も遭遇します。

 

例えば、

 

・外部の人間がいるエレベーターの中で、上司の批判を「気軽に」言い合う

 

・「気軽な」(カジュアル)な服装の度がすぎて、相手をシラけさせる。不安を与える

 

・ぶしつけな身振り手振りで、訪問客を「気軽に」扱う

 

など。

 

どうやら、それをやっている本人たちは、「親しみやすさ」を演出しているようです。

が、逆効果です。

 

なぜなら、そのように接せられた相手にとっては、「なれなれしい奴だな」と思われていることの方が多いから。

 

社会と組織を相手に、長年、さまざまな経験や知恵を得てきた年長者にとって、

彼らは、「確かに優秀かもしれんが、まだ社会に出て数年の小僧っこ」でしかないわけです。

 

つまり、気軽さをやってのけるにはまだまだ成熟していない、ということが言えるのではないでしょうか?

 

若手が職場の気軽さをそのまま「コピペ」して許されるのは、
まさに、その職場仲間だけだということです。
それを外に適用すると、とたんにしっぺ返しを食らいます。

 

「気軽さ」=「なれなれしさ」になってしまうのですね。

 

 

 

■「気軽さ」が、「親しみやすさ」として伝わるには

 

じつは「気軽さ」が「なれなれしさ」に向くのか、「親しみやすさ」と向くのかは、

非常に微妙な違いしかありません。

 

それは、先ほど言った「成熟さ」が必要だということです。

 

では、「成熟さ」には、いったいどんな要素が入っているか?

 

・相手に対する敬意

・相手に対する関心・好奇心

・心の距離を近づけたいという欲求

 

で構成されていると思います。

そのために、「親しみやすさ」が戦略的に奏功する、ということです。

 

「自分はイケている。だから相手も自分に興味を持ってくれている」と勘違いしている若手とはまさに真逆のものです。

 

 

気軽さとマナーが絶妙なバランスとなり、
それが「親しさ」に昇華されるのは、

いかに相手のことを考慮しているか、
という「成熟さ」が必要になるのです。

 

 

■「自分が承認されること」にしか興味がない人たち

 

若手にとっては少々耳の痛い話になったかもしれませんが、

 

「相手を軽んじる」という行為には、じつは「自分にしか興味がない」
という図式が成り立っています。

 

SNSに目をやれば、「自分がいかに映えるか」にしか興味がない人たちがたくさんいます。

 

これはなにも、若手にかぎったことではありません。

良い年したオトナだって、こういう人たちは多くいますね。もはや害です。

 

そういう人たちは、まだまだ精神的に「未熟」なままなのでしょう。

 

自分の誕生日に、いくつのメッセージをもらったかには敏感なのに、

友達の誕生日は、スルーする。など、、、

 

たしかに自分に興味関心が向くのは、人間として生物学的に必要なことです。

しかし、それと同じくらい、相手に興味関心を持てないところに、

彼らの「未熟さ」が浮き彫りになります。

 

 

■結論|未熟な人による「気軽さ」は、敵をつくる

 

「親しみやすさ」を演出したいなら、

 

まずは、相手のことを知ろうとすること。

そして、相手に気分良く過ごしてもらうこと。

最後に、自分のことを知ってもらうこと。

 

これが、成熟したマナーあるオトナの鉄則です。

 

リーダーである皆様へ。

部下といま一度、マナーについて話してみませんか?

リーダーである皆様にとって、自信をもってお話できる内容だと思いますよ。

 

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

大いなる欠点を持つことは、偉人たちのみに限られる。

2021/02/16

ボキャ貧リーダーが生む悲劇

こんにちは。

 

 

こんにちは。

季節は少しずつ春に近づいていますね。

35年にわたる花粉症といよいよ決別しようと、今シーズンが終わったら

舌下免疫療法なるものを始めようと思ってます。

身の回りにサンプルがないので、その効果のほどをご存知の方は、

ぜひシェアいただければうれしいです。

 

今回のコラムテーマは、最近話題となった、五輪組織委員会の元会長の発言から得た考察を

共有したいと思います。

 

「言葉を吟味することの大切さ」についてです。

 

 

■ブレーキが壊れた頭をもつ人たち

 

ここでは五輪組織委員会の元会長の発言自体を、どうこう触れるつもりはありません。

 

例の発言が問題だと思う前に、私は

「なんでここまでの地位を得た人が、自分の言葉をコントロールできないんだろう」

と、ひとつのサンプルとして興味深く思いました。

 

 

今日触れたいのは、私がとらえた、こんな原理です。

 

普段思っていることは、その人のアタマの程度にふさわしいボキャブラリーでしか、外に出てこない。

 

 

元会長の発言は、3つのことを露呈させました。ここは、私たちも学べるはずです。

 

・そもそも人は本質的に変わらないこと

・ボキャブラリーが貧しいこと

・ふだん思っていることは、調子に乗るとそのまま口から出てしまうこと

つまり、普段から思っていることは、うっかりすると口から出てしまい、

さらに、ボキャブラリーが貧相だと、さらに傷口を広めてしまう。

 

こんなことを考えていました。

 

 

いわゆるこうした”頭のブレーキが壊れた人”は、世の中にたくさんいます。

 

すぐに自制が効かなくなり、思ったことを何の加工もせず、そのまま口にする人たちです。

 

メディアが多様化した昨今、その発言は文字でなかったとしても、繰り返し使える映像として残ります。

つまり、そんな人たちは結局、みずからの首を絞めるがごとく、ふさわしい待遇に身を処すことになるわけですね。

 

 

 

■”ボキャ貧のリーダー”は悲劇しか生まない

 

サンプルとして興味深いなと思ったのは、

普段からこのコラムでお伝えしている、「言葉を吟味する大切さ」の恰好の対象となると思ったからです。

 

さらに言えば、この機会に乗じ、

リーダーの方たちにいま一度、自分の表現力について精査してほしいと思ったからです。

 

もし今自分が何かしらのチームを率いるリーダーであれば、

自分の口から出てくる言葉の影響力について、あらためて考えてみてください。

 

 

勢いづきすぎて、誤解を生んでいませんか?

 

あるいは

 

言葉が少なすぎて、憶測や忖度を周りに強要していませんか?

 

あるいは

 

モチベーションを上げようとして、かえって自分の価値観を押し付けて

「あの人の言葉は、なえるわ~」とか陰で言われていませんか?

 

あるいは

 

自分をかしこく見せようとして、意味不明の言葉を連発し、

周りをシラけさせていませんか?

 

 

私は仕事柄、こうしたタイプのリーダーのせいで、現場からやる気がなくなっている現実をたくさん見てきました。

 

誤解、忖度、憶測を組織じゅうにまきちらし、

コミュニケーションミスによる混乱を生み、

業績下降はおろか、

クレームや事故まで、起こしかねないのです。

 

これらはもしかすると、ボキャブラリーが貧相で、表現力が乏しいリーダーが原因なのかもしれません。

 

 

 

言葉を吟味することの大切さ

 

リーダーもひとりの人間です。

いち個人としての強みやキャラクターは、尊重されるべきです。

 

しかし、それと「表現力」というスキルは、同じ分類にはされません。

 

人を動かすためには、個性とスキル、両方が必要なのです。

 

スキル側の代表例として、最たるものが、”言葉”を含む表現力です。

 

軽々しく、乏しい表現は、こと日本においては、人格すら疑われてしまいかねません。

五輪組織委員会の例の発言において、

多くの批判者が、”言葉”でなく”人格そのもの”に文句をつけていました。

 

そうです。一歩間違えれば、私たちは、必要以上に厳しい、人格否定という憂き目に

遭いかねないのです。

 

リーダーこそ。いや、リーダーでなくも、人に影響を与える人こそ、

自分の口から出てくる言葉を、よく吟味しなければなりません。

 

思ったままが口から出てきて人をなごませるのは、幼稚園児までが限界です。

 

人を元気づけ、勇気づけ、癒し、幸せにし、ときには内省を促す言葉を選びましょう。

 

 

■余談|批判側も多いに問題がある

 

最後に余談ですが、

私は一連の騒動を眺めながら、正直、日本はけっこう恐ろしい国だなと思いました。

 

この国では、批判者のメンタリティにもかなり問題がありそうです。

批判者たちのほとんどは、「女性蔑視」であろうあの人の”人格”に踏み込み、そして思いきり叩いていたのです。

 

ダイバーシティという御旗があれば、人の内面や価値観を否定しても良いと、勘違いしていないでしょうか?

それこそ、その行為がダイバーシティではありません。

都合の悪い考えを持つ人を消す。そんな価値観の押し付け合いが、紛争や戦争を呼ぶことはご存知かと思います。

 

健全な批判、建設的な議論ができる国であってほしいものです。

 

批判者である自分もまた、自分の口から出てくる言葉を吟味する必要があるはずです。

 

結局、この世はお互いさま、ですからね。

 

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

大いなる欠点を持つことは、偉人たちのみに限られる

 

2021/02/08

社会人になるときに失ってほしくないもの

こんにちは。

 

寒さも少しずつ柔らいできましたね。

それとともに花粉の飛散が始まっているのは憂鬱ですが。。。

 

私は自身の専門分野が、経営者の行動変容です。

ですがなぜか最近、ありがたいことに、若手社員、特に新入社員、ときには学生さんに対して

なにか話をしてくれないかと、ご相談いただくことが増えています。

 

私は5年ほど前、何を間違ったか新入社員研修の講師なるものをさせていただいたことがあります。

しかしやってみて、ホトホトこの分野に自分は強みがないことがわかりました。

 

それだけに、いつもこうしたご相談に躊躇してしてしまうのですが、

最近はうれしいことに、「清原さんが伝えたいことを好きなように言ってくれたら良い」と

言っていただけます。

研修でなく、講和として、ということです。

 

本日は、そんな若手向けテーマの1つを、取り上げてみます。

 

「創意工夫」という言葉についてです。

 

 

■まずは「天職はない」というところから

 

このコラムでは何度もしつこいくらい述べているように、

私は若手社員に対して、「天職などは存在しない」と言い続けています。

 

天職を探して転職を繰り返してきた私が言うだけに、説得力があるようです。

 

青い鳥は、うちの鳥カゴにいた。

つまり、天職というのは、外に求めていても、ないのです。

 

今の自分の仕事を天職だと思い込むことが、天職を見つけるための大原則

こう思っています。

 

ある意味での、「諦観」です。

 

私は、自分の仕事を天職だ強く思いこむことで、こんなことが起きました。

 

まず、不思議なことに、自然と自分の仕事に対して感謝の念が湧いてきます。

 

うまくいってもいかなくても、この天職を通して自分に起きるさまざまなことが新鮮に感じられ、

自分が天職を通して成長させてもらっている、

 

なにより、

天職に巡り合えているという、えも言われぬ感謝の念が湧くのです。

 

私にとって、変化はそれだけではありませんでした。

やはり、仕事自体が楽しく感じ始めます。

天職だと思っていると、この仕事の色んな側面に好奇心が湧いたり、ちょっとした課題に気づいたりするようになりました。

 

つまり、

そこかしこに自分なりに手を施す余地が生まれ、創意工夫の芽が見つかる、という状態です。

 

さらに良い変化は起きました。

職場での人間関係が、劇的に良くなったのです。

これは今の私にとっても、かけがえのない財産となりました。それまで反目していた上司、いらだちを覚えていた部下、そうした職場仲間と、仕事をもっと楽しむため腹を割って話すことに、抵抗を感じなくなったのです。

 

と、ここまでがどこかでお話した内容です。

 

そして、今日はこの続きです。

 

■感謝のルーティン

 

天職だと信じ込むことでたどり着く、「創意工夫」とは何か?

ということです。

 

上記のように、自分の仕事に感謝する「ルーティン」が身についてくると、

物事に対して新鮮な視点と感覚が持てるようになります。

 

すると、いつもと同じことのはずなのに、

これまで素通りされてきたようなちょっとした課題を発見したり、

違和感を持ったりする瞬間が増えてきます。そこにこそ、自分らしい工夫を加える余地が生まれてきます。

 

つまり、

日々新鮮な目で仕事とも向き合うことができれば、

もっとその仕事を楽しめる意欲も生まれ、

結果としてそれが飽きのこない安定した仕事ぶりにつながっていくのです。

 

■創意工夫とは「自分らしさをトッピングする」こと

 

創意工夫という言葉ですが、私なりに言い換えてみますと、

「自分らしさをトッピングする」

という表現が個人的にはしっくりきます。

「自分らしさ」というものを、外に向けてわかりやすい形で表出していく必要があります。

しかし、自分らしさを発揮することの大切さは、誰であってもわかっていることでしょう。

 

わからないのは、その自分らしさとは何か、

そして、どうやってその自分らしさを発揮すれば良いのか、ということですよね。

 

まず、自分らしさを発見するための答えを、お伝えします。

 

それはたったひとつのこと、

 

みずからの“違和感”に敏感になる、ということです。

 

 

■違和感に敏感になろう

 

ここで問わせてください。

 

あなたが最近、違和感をもったことは何ですか?

 

多忙な日常では、次々とやってくる依頼ごとをこなしていたり、

トラブル対応をしていたりすれば、ささいな違和感などにかまっている暇などないかもしれません。

そんなことよりも、目の前の火急の課題を優先しがちになるのは仕方ないことでしょう。

 

しかし、こうして日々、ささいな違和感を封じ込めるという行為を繰り返していることは、

思わぬ形でみずからを摩耗させてしまいます。

 

つまり、こうしたことを日常的に続けていくことで、

一定の場面で自分の中に発動するはずの信号のようなものに気づかなくなる。

 

つまり、「状況を察知する」ためのアンテナが壊れてしまいます。

 

すると、やがて自分から何かしらの行動や発信を起こせなくなっていくのです。

 

自分ではない誰かが、何かを起こし、それに反射的に動いていくだけの、

「超・受動型人間」になってしまいます。

もちろん、指示が出てそれに忠実に動いたり、

問題が起きて、それに正確に対処することは、

それはそれで悪くはないとは思います。

 

しかし、よくあるヒーローもののアニメでは、必ずこんな展開となります。

先に、ヒール役が問題を起こす(例えば、街を壊すとか、なにかしらの陰謀が明るみに出る)。

それが起きた後に、慌てふためいてヒーローがその計画を阻止する。

 

いかがでしょうか?

 

何かが起きたあとに、やっと動き出すヒーローたちに、それほどの魅力があるでしょうか?

それよりも、

毎回、計画を練って先制攻撃をしかけてくるヒールの方に、

不器用ながらも魅力を感じてしまうのは、私だけではないでしょう。

 

■生物学の観点からも、受け身にはけっしなってはいけない

 

経営側にいる人たちが、「うちの社員は、受け身ばかりだ」と嘆く背景には、

恐らく従業員が自分の中で発動した信号、

つまり内側で生まれる「ちょっとした違和感」を大切にしなかったことが、

遠因しているのではないかと思っています。

 

少し大きな視点から、話を進めます。

 

私は、人間は本来それほど鈍い生き物ではないと思っています。

700万年とも言われている人類史は、生き残りをかけた最終局面において、ネアンデルタール人とホモサピエンスが台頭し、結果、ネアンデルタール人は当時の地球環境に馴染むことができず絶滅しました。

こうして20万年前に、私たちの祖先である非現生人類=ホモサピエンスが勝ち残ったと言われています。

 

そして一説によれば、ホモサピエンスが生きながらえることができたのは、ネアンデルタール人よりも身体能力が弱かったということ。

つまり、その分、命を守るために危険を察知する能力に優れていたからだとも言われています。

 

この説にはじゅうぶん説得力があると思います。

この説が正しいとすれば、私たちにはもともと生命を維持する本能、つまり命を守るために危険を回避しようとする能力が備わっていることになります。

 

ここでようやく、結論を述べられます。

つまり私たち人類は、例外なく、身近に起きることに対して敏感に反応し、危なければ回避したり戦ったり交渉したりと、何らかの対処ができる力を身につけているのです。

そして、その対処のためのトリガーになるのが、本能的に感じる「違和感」だと言えると思います。

つまり、違和感とは、今何かしらの対処が必要だとアラートを鳴らしてくれるものであると、言えるのではないでしょうか。

 

あらためて、違和感に目を背けてはいけない理由が、お分かりでしょうか。

人間として本能的に感じるアラートだからです。

 

そこには、何かしらの行動が紐づけられなければ、私たちは危険に呑み込まれる可能性もあるからです。

違和感に鈍くなる、つまりアラートと反応を遮断するということは、たとえ危険が迫っても自分は何もせず、他人の反応に自分を預けてしまう、ということになります。

 

 

■創意工夫とは、自分らしさをトッピングすること。

 

そのための出発点は、この「いつ、何に対して自分は違和感を持つのか」に敏感になることです。

 

例えば、

今朝会議で上司が提供してくれた情報に、どことは言えないが、なんとなく矛盾を感じる。

メンバーから見せられた営業の提案書の内容は良いが、デザインや色遣いが気になる。

あるいは、チームが合意しようとしているプロジェクトの要件が、どうもしっくりこない、など。

 

まずは日常レベルで、みずからの心に起きる原初的な反応を、丁寧に扱ってあげてください。

ここに、自分らしさを発動させるきっかけがあるからです。

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

善にかけての英雄があるように、

悪にかけての英雄がある。

2021/02/01

「一貫性がない」という批判への批判

こんにちは。

 

花粉が飛び始める季節になってしまいましたね。

マスク着用が常態化した生活様式になり、今年くらいは多少、症状も遅れて始まるかと思いきや、

むしろ例年よりも早く出ています。。。

 

 

本日のコラムは、

 

一貫性 × 上下思考

 

というお話です。

 

私がこのテーマについて考察したいと思ったのは、

恐らく周りで飛び交っているこの類の批判

 

「一貫性がない人はいけない」

 

について、違和感を表明したいと思ったからです。

 

昨今、世間で多くの批判を受けているのは政府ですね。

コロナ対応についての方針も、手厳しい批判の的となっています。

 

 

■主義主張に一貫性がある人、ない人

 

「一貫性」が、その人への信頼度を測るバロメーターとなっていることは、事実でしょう。

 

主義主張に一貫性がある人を信頼するのは、実際に私もそうです。

 

しかし、私がこのテーマについて問題にしたいのは、

 

一貫性を評価する側の人たち

 

つまり、「あの人は一貫性がある、ない」と評価する、大多数の人たちの姿勢

 

についてです。

 

 

「うちの上司には一貫性がない」

「政府の方針には一貫性がない」

 

と言っている人たちは、誰でしょう?

 

それは、「当事者以外の誰か」になります。

 

つまり、

まず間違いなくそういう人たちは、

意思決定する側にはいない

 

ということが言えます。

 

その人たちにとって「一貫性がない」とは、

「最初に言ってたこと、今言っていることが違う」

ということでしょう。

 

「うちの子供は、すぐに言うことがコロコロ変わる」

「私のパートナーは、趣味や好みがコロコロ変わる」

と言いたくなる場面が、私生活でもよく起きているはずです。

 

 

■なぜあの人は、一貫性にこだわらないのか

 

一貫性について批判をする人たちは、意思決定をする当事者ではありません。

 

一見、一貫性を欠いた言動をする人は、ともすると軽薄で、熟慮に欠ける印象を与えます。

なかには実際にそういう人もいるでしょう。

 

しかしここで、そういった人たちの言動の背景について、想像してみましょう。

 

もしかしたら、その人たちには、

 

私たち批判者には見えていないものが見えている

 

そんな可能性があるとは言えませんか?

 

私はたちは、その人を表面的に評価できる機会が、2度あります。

 

1度目は、その人が「主義主張を表明する」とき。

 

2度目は、その人が「その主義主張と異なる言動をする」とき。

 

1度目の印象と2度目の印象が違うから、私たちは「ガッカリした」と言うのです。

「あのとき言っていたことと違う」と言うのです。

しまいには、「あの人は信用できない」とレッテルを貼るのです。

 

 

■一貫性にに縛られる不自由さ

 

一貫性に縛られない人が信用を得にくいのは、最初と途中の印象が違っているから、

と述べました。

 

しかし当事者には、その理由が必ずあるはずです。

 

※もちろんここで取り上げている想定テーマは、主にビジネス上で展開される一般例であり、

人道的、道徳的な観点で「嘘を言っても良い」と言っているのではありません。

 

 

先ほども書いたように、

 

他人に見えないものが、本人には見えている

 

というのが、その主な理由でしょう。

 

当然、本人も、その時々のベストな意思決定をしているつもりのはずです。

 

しかし、昨今の世の中の目まぐるしい状況変化はどうでしょう。

 

インフォデミックという言葉に代表されるように、多くの人の言動を惑わすほどの、

まことしやかな情報が次々に目の前に現れるのが、今の現実です。

 

その時々の意思決定は、その時々の情報や状況によって、なされます。

普遍的に正しい意思決定というのは、むしろ難しいでしょう。

 

つまり、一貫性を欠く言動をする人、あるいは、主義主張を変える人というのは、

 

言い換えると、

 

状況を敏感に読み取って、最適な判断にアップデートしている

 

とも言えます。そして、

 

その状況変化が、その他大勢には見えていないとき、

「あの人には一貫性がない」と言われてしまうのではないでしょうか?

 

 

例えば、自分の会社の社長が、コロナ拡大前となんら変わることのない営業戦略を

貫こうとしていたら、かえって不安になりませんか?

 

ということは、

コロナ拡大前と今とで主張が変わっているのなら、

社長は社長で、その人だけに見えているものがある、と思うのです。

 

もちろん、なぜ方針を変えたのか、という説明は尽くす責任も、社長にありますが。

 

 

私からは、一貫性に縛られる人が不自由に見えます。

 

みずからが定めた鉄の掟で、みずからを生きにくくしているように見えます。

 

一貫性にこだわるあまり、

目の前で起きている現実から目を背けたり、

都合の悪い情報をなかったことにしたり。

本人だけの問題であれば、それで良いのですが、

それが例えば経営者の立場だったら、多くの人に迷惑をかけてしまいます。

 

 

■「ヨコ思考」と「タテ思考」

 

「ヨコ思考」と「タテ思考」とは、またまた私が勝手にネーミングした思考センスです。

 

人の思考のくせは、主に2つに分かれると言われています。

 

1つは、「各論」に目が行きがち。

時系列的に問題をコツコツと解決していく。

与えられた課題、あるいは目の前の課題を正確にこなすことが得意。

こんなタイプを「ヨコ(左右)思考」と呼んでいます。

 

つまり、思考が”水平展開”していく人ですね。

 

 

もう1つは、「総論」に目が行きがちな人です。目の前の課題よりも、「なぜこうなった?」方が気になる。

時系列でなく、今ある問題を上から俯瞰したり、あるいは

下にもぐって点検したりすることが得意。

こんなタイプを「タテ(上下)思考」と呼んでいます。

 

つまり、思考が”垂直展開”していく人です。

 

この二つの思考パターンを同時に持ち合わせる人は少なく、

だいたい、このどちらかに大半の人は属するようです。

 

 

■一貫性に縛られない人は、「タテ思考」

 

少々乱暴な結論づけになるかもしれませんが、

 

ものごとを俯瞰したり、本質を見出すことのできるリーダーは

「タテ思考」の持ち主のようです。

 

目の前で繰り広げられる数々の難題や問題に振り回されすぎることなく、

その先に待っている理想やゴールを見通すことができるので、

 

いわゆる「他の誰にも見えない景色が、見えてしまう」ということになり、

自分だけに見えている”結論”から、”現状”を変えようする傾向にあります。

そのため、周りからすれば、唐突に「また方針を変えられた」と映ってしまうのでしょう。

 

しかも、そういう「タテ思考」の人にかぎって、

懇切丁寧な説明がヘタ。

という悲しい事実もあります。

 

「タテ思考」はビジョナリーである分、その表明の仕方によって多くの人を惹きつけるのですが、

丁寧さに欠けるため、勝手に自分のストーリーで進めてしまうのです。

 

一方で、ビジョナリーに語るのが苦手な「ヨコ思考」は、言われたことに納得して、コツコツものごとをこなす。

しかし、結論や本質から現実を見ることが弱いので、言われたこと、やるべきことにこだわり続けて、変化の機会を見逃す。

 

 

いかがでしょうか?

 

「なぜ部下はわかってくれないんだ?」

「なぜ上司は言うことがコロコロ変わるんだ?」

 

いまも両者の間に生じる戸惑い、いら立ち、といったハレーションは、

こうした思考センスの違いがから成り立っていると思います。

 

 

■組織にとって不幸のはじまり

 

そして、肝心なのは、

 

その思考センスが、そのまま適材適所に活かされていない

 

という事実も、見過ごされてはいけないと思います。

 

 

ビジョンを語れないリーダー

実務ができないフォロワーこれは、組織にとっての不幸の始まりです。

 

しかし、ここを真正面から捉え直すことで、「弱みを補い合えるチーム」が作れるでしょう。

チームビルディングは、まず個性から診断してみてはいかがでしょうか?

 

ここを理解すれば、コミュニケーションにおけるハレーションもぐっと減ることでしょう。

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

ほんとうの雄弁は必要な事は全部しゃべらず、
必要以外は一切しゃべらぬということである。

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