2021/03/29

モチベーションにサヨウナラ

こんにちは。

 

春らしい暖かい日が続いていますね。

コロナ禍とはいえ、春が来ればそれはそれで、たくさんの人たちにとって新たなスタートになる時期です。

 

今回は、そんなスタートの時期だからこそ話しておきたい「仕事のモチベーション」について

考察していきたいと思います。

 

 

■モチベーションってなに?

 

モチベーション【motivation】

動機を与えること。動機づけ。誘因。ものごとを行なう意欲。やる気。(広辞苑より)

 

“モチベーション”というものを、あなたなら、どのようなものだと人に説明しますか。

 

仕事に対する関わり方、というテーマを考えるとき、必ずついてくる言葉があります。それが、「モチベーション」です。

 

「なんだか、いまいちモチベーションが上がらないなあ」。

「もっとモチベーションを高めないと、良い仕事ができないよ」。

「やる気スイッチが入らなくて」などなど。

モチベーションについて、よくこんな言葉を職場で聞くでしょう。

 

 

■それって、本当にコントロールできるの?

 

このように聞くと、まるで「モチベーションというものは、コントロールできる」と思われているようです。

モチベーションは、低ければ高くできるし、高くなったらキープできる、と。

そして、モチベーションさえ高くすれば、良い仕事ができる、と。

 

経営者をはじめ、多くの役職者の方々とお話をしていると、

「部下のモチベーションをなんとか高めてあげやりたいんだよ」と、よく相談を受けます。

どうやら、モチベーションというものの扱いについて、頭痛の種のひとつになっているようです。

 

しかし、仕事の良し悪しとモチベーションが関係しているというのは、はたして本当なのでしょうか。

さらに、それを他人がコントロールできる、というのも、本当でしょうか。

 

 

■モチベーションは、信仰に似ている…

 

じつは、このモチベーションという存在については、「特に気にする必要ない」と私は思っています。

 

別にモチベーションがあろうとなかろうと、それは仕事の良し悪しに、それほど大きく影響しないと、ほぼ確信しています。

 

例えば、私たちと同じく、プロフェッショナルという立場にいる、スポーツの世界を見てみましょう。

彼らプロスポーツ選手が「モチベーションが上がらないなあ。おかげでパフォーマンスを出せないや」なんて、つぶやいている姿を見たり、想像したりできるでしょうか。

 

彼らにとって、そういう言葉が出てきたときというのは、すなわちプロを辞めるときです。

 

彼らプロスポーツ選手にとって、モチベーションなどは、あってもなくてもたいして関係はないのです。

なぜなら、モチベーションに振り回されるよりもっと大事なこと、つまり、

明確にコミットした達成すべき“ゴール”、そして、それに向けてみずからを奮い立たせる“理由”があるからです。

 

ひるがえって、私たちが身を置いているエコノミー、つまりこのビジネスの世界では、なぜだかモチベーションというものが、やたらと慎重に扱われています。

 

もしもプロスポーツ選手が、なにかのはずみで私たちの会議に同席し、

そこで「もっとモチベーションを上げて仕事に取り組もう!」などと言いあっている場面に出くわしたら、はたしてどう思うでしょうか。

 

「結果を出すのがすべての世界にいて、そんなところから始めるの?」と、びっくりするのではないでしょうか。

私は、モチベーションとは、ある意味“信仰”のようなものではないかと思っています。

エコノミーの世界だけで用いられている、誰も見たことがないけれど、まことしやかにささやかれている“幻想”のようなものです。

 

 

■モチベーション低下のいちばんの要因はこれ

 

この際ですが、モチベーションという信仰は捨てませんか。

 

仕事がうまくいく原因や、うまくいかない原因を、モチベーションのせいにしてしまうと、そこで思考はストップしてしまいます。

 

本当は、うまくいっていることも、うまくいっていないことも、それぞれにちゃんと検証すれば、

その原因や要因が明らかになるものです。

 

もしかしたら、要因はモチベーションでなく、「仕事を回すしくみ」だったり、「上司の指示を勝手に解釈してしまっていた」だったりするかもしれません。

 

原因や要因がはっきりすれば、「次にどう手を打てるか」をしっかり考えられます。

ここで、「原因は、モチベーションが低かったせいです」で終わってしまったなら、「じゃあ次は、モチベーションを高くしてがんばろう」となってしまい、

これだと結局、“やる気論”に終始してしまうわけです。今よりも良い結果を望めることはないでしょう。

 

一般的に、モチベーションが上がらない理由というのは、以下のようなことが原因だと考えます。

・やるべき目的や理由が、わからない

・やるべきことの、手順があいまい

・やるべきことが、多すぎる

・やるべきことが、難しすぎる

つまり、これらに共通しているのは、何もかもが「ボンヤリしている」ということです。

 

モチベーションが上がらない共通の原因として、理解しておきましょう。

 

仕事がはかどらないことをモチベーションのせいにしそうになったら、

「ボンヤリ」を「ハッキリ」とさせる

ということで解消するのです。

 

 

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

肉体の労苦は、精神の労苦を癒す。

2021/03/22

新社会人へ「仕事、楽しむ用意できてますか?」

こんにちは。

 

お彼岸の時期を迎えましたね。

コロナ禍では、季節感をあまり感じることは少ないかもしれませんが、

自然の求めるバイオリズムに、私たちも自然の一部として調和させていきたいものですね。

 

今回のテーマは、もうすぐ入社してくる新入社員や若手社員の皆さんに、

ぜひ語っていただきたい内容です。

 

■仕事って楽しんで良いんですか?

 

「仕事って、楽しんで良いんですか?」

 

もし今年の新入社員にこんなことを聞かれたら、なんと答えますか?

 

私なら、そんな疑問にこう答えます。

 

「仕事は楽しむものです」。

 

これが、私の結論でもあり、そのままストレートに理解してほしいです。

むしろ、

「楽しめなければ、良い仕事はできないし、楽しくないと思いながら仕事をしては誰も喜んでくれない」

と、すら思います。

 

 

■なぜ「仕事」と「楽しい」はつながらないのか?

 

“仕事”と“楽しい”が、うまくイメージとしてつながらない人も、多くいるのではないでしょうか。

「だって、やるべきことは決まっているわけだし、楽しいとか楽しくないとか関係ないでしょ。結局、やらなくちゃならないんだから」。

 

確かに、仕事というのは、組織や上司から配分された、自分が負うことになる責任とも言えます。

しかし、いったい誰から「仕事を楽しんではいけない」と言われたのでしょう。

 

私は学生時代、バスケットボールをやっていました。

練習時、少しでも笑っていると、監督から「お前、何がそんなに面白いんや?」と、即ビンタを張られました。問答無用です。

 

私は当初、バスケットボールを純粋に「楽しい」と思いながらプレイしていたので、自然と笑顔になっていたのだと思います。

自分でも、心から楽しいと思っているときの方が、しかめっ面でプレイしているときよりも、パフォーマンスが良いと実感していました。

 

でも、監督から「練習でも試合でも笑っているヤツは、真剣にやっていない証拠だ」と言われ、しだいに練習どころか、バスケットボール自体を楽しむことができなくなっていきました。

つまり、“部活”イコール“辛い”という印象が頭に刷り込まれ、それにつれパフォーマンスも、選手キャリアの後半はそれほど出せなくなっていきました。

 

 

■”部活文化”の呪い

 

これと似たようなエピソードを体験している、私と同世代の人たちは多いと思います。

 

いわゆる“部活文化”というやつです。

 

しかしこれには、弊害の方が多いと言わざるを得ません。

その弊害とは一言でいうと、「プレイ内容よりも、上下関係」が重視されるということです。

 

こうした極めて理不尽な世界では、パフォーマンスが良い若手から順番に、芽を摘まれていきます。

 

上下関係という無二の基準に照らされ、年長者は、自分よりも良いパフォーマンスを出す後輩や、異を唱えてくる後輩を、「生意気だ」という判断によって、黙殺したり、輪から外したり、ということを行なってしまうのです。

 

さらに、この理不尽な“部活文化が、実際の職場でも展開されていることだって、まれにあります。

そしてここでも、同じように、多少我が強いけれど優秀な若手社員が、気づけばまるで別人のように、大人しく、モノを言わず、無表情で淡々と仕事をこなすだけの人に変貌している、という姿を見ます。

 

そして決まって、そうした組織ではパフォーマンスが良くありません。

 

 

■やたら”従順”な社員が、組織のパフォーマンスを落とす

 

こうした職場で調査を行うと、その結果は、パフォーマンスが良くないというだけではありません。

 

従業員の間に、ある共通した特徴が出てきます。

それは、「従順である」ということ、そして、

仕事へのエンゲージメント(積極的な関わり方)が希薄である」ということです。

 

このことから、何が言えるのでしょう。

それは、「パフォーマンスの出ない組織は、そこにいる社員が仕事を楽しんでいない」ということです。

このように、昔々に体験した、あの“部活文化”の延長戦を、いまだにやっている組織は実際にあるのです。

 

 

■サステナブルな組織へのアップデート

 

時代はすっかり変わりました。

 

会社が個の行く先を示して、個も会社が示してくれた通りに従って行動すれば良い、という時代が終わり、そして、個が会社をけん引する時代が始まっているのです。

 

「必要以上の従順さ」という態度が、たとえ組織で評価されたとしても、

その組織が、今度は社会から評価されない、という時代が、今なのです。

個として私たちはどうすべきか。それは、仕事への関わり方のアップデートです。

 

つまり、「仕事を楽しむ」ことです。むしろ、「仕事は楽しむべきもの」だとさえ、私は思います。

 

自分がやっていることに“ポジティブな気持ち”を感じられなければ、それは永続きしないからです

つまらないと思いながら、イヤイヤ、義務感で、仕方なくやっていても、誰も喜んではくれません。

永続きしない仕事ばかりしている人たちが集まる組織、それこそ、社会からすれば「サステナブルではない」と評価されてしまうのです。

 

仕事を楽しもうそのために創意工夫しよう。

そのことが、ひいては組織をサステナブルな存在へと引き上げるのだから。

 

ただでさえ暗い世の中です。

新入社員を迎えるにあたって、先輩社員からぜひそう伝えてあげてください。

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

あまり利口でない人たちは、

一般に自分のおよび得ない事柄については

何でもけなす。

2021/03/15

混乱から抜け出したいときの考え方

こんにちは。

 

少しずつ春の気配がしてきました。

当社の保養所がある熱海では、梅と桜が同時に見られます。

自然は、世の中なにがあろうと、淡々と来るべき時に、やることをやる。

そんな姿に、勝手に勇気づけられたりしています。

 

今回のテーマは、

・忙しすぎて本来の仕事がなかなかできない人

・頼まれごとを断れない人

に向けて、書きました。

 

リアルに使える(実際、私も使っている)、「優先順位のつけ方」です。

 

■かぎりあるエネルギーをどう使うか

 

たびたびコラムで触れてきたテーマですが、

「有限である自分のエネルギーを、本当に大切なことにいかに有効に使うか」

あるいは、

「いかに、かぎりあるエネルギーを、無駄なことに浪費しないか」

を話してきました。

 

その目的はもっと言うと、

「自分の意思で決めていないことばかりに関わり続ける」という態度を脱却しよう、ということです。

 

 

■他人に振り回され続ける人

 

例えば、こんなことはよくありませんか?

「指示されたことだから、余計なことなど考えず、とにかくそれをやるだけ」と、仕方なく、渋々、仕事に取りかかる。

もちろん、私自身も経験として心当たりはあります。

 

しかし、こうした態度というのは、「投じるエネルギーの濃淡を、自分の意志で決めていない」という態度です。

つまり、「限りあるエネルギーを、すべてにおいて均等配分する」という、何の戦略もない態度と言えます。

 

実際、目まぐるしく状況が変化する職場環境にいれば、次から次へと矢継ぎ早に指示が飛んでくるのは、事実でしょう。

それらをさばくがごとく、一心不乱で片づける。

でも、一日が終わりに近づき、はたと気づく。

「今日、自分がやりたかった仕事って、ひとつもできていない」と。

 

その頃にはすでに、タンクにエネルギーは残っていません。

体に感じるむなしい疲れ、ボンヤリとする頭、何より大きく残る後悔の念…「いったい自分は今日、何をやっていたんだろう」と心でつぶやく。

 

 

■力のダダ漏れを防ごう

 

もしも、エネルギーの配分先に優先順位をつけることなく、“ダダ洩れ”のごとく全方位的に浪費していくとします。

周囲はそんなあなたをどう見るでしょうか。

 

良く言えば「マジメで良い人」。

悪く言えば、「何でもやってくれる、都合よく使える人」、あるいは

「いつも何かに振り舞わされて、くたびれている人」

と映ります。

 

■『エナジーマトリクス』とは

 

『エナジーマトリクス』という、優先順位のつけ方をご紹介したいと思います。

 

その目的は、他人の頼まれごとばかりに消耗させられる、そんな日々から一日でも早く脱却しようとするものです。

 

もちろん、組織に身を置いていれば、意に反して引き受けざるを得ない頼まれごとは、実際たくさんあるでしょう。

それを拒否することも、現実的には難しいでしょう。

 

しかし、エネルギーを投じる“濃淡”、つまり使い方にメリハリをつけることくらいは、それほど苦労はないはずです。

 

このマトリクスを意識してものごとに取り組むというのは、

「みずからの取り組む姿勢を選ぶ。そして、意思をもってそこに意義を見出す」

という、積極的な姿勢を意味しています。

 

「他人によって操作される自分」から脱却し、エネルギーの浪費をできるかぎり最小限に抑えることに、狙いがあるのです。

 

 

■本当の優先順位のつけ方

 

ここで、エネルギーを投じるべき優先順位について、基準を示します。

“メリハリ基準”とも言えるものです。

 

「自分で選んだこと」かどうかと、「自分にしかできない」かどうか、という2つの軸で測ります。

 

<エネルギーのメリハリ基準> 

  1. その①イニシアティブ”領域
  2. 「自分で選んだ」 そして 「自分にしかできない」こと
  3. ・もっとも集中すべき最優先事項です。
  4. ・存分にエネルギーを注いでください。
  5. ・こここそ、主体性が最大限に発揮されやすい場となります。
  6. その②“伸びしろ”領域
  7. 「他人から頼まれた」 そして 「自分にしかできない」こと
  8. ・次に優先してエネルギーを投じるべきことです。
  9. ・たとえ自分の意思で選んだことでなかったとしても、それに取り組むことで、自分の価値が高まります。それは、たいへん大きな意義があります。

 

その③“自己満”領域

  1. 「自分で選んだ」 そして 「他人でもできる」こと
  2. ・さほどの苦労はせずともできてしまうので、つい引き受けてしまいがちになります
  3. ・が、これは要注意です。わかりやすく言えば、ここは趣味の範囲でやるべきことです。
  4. ・よくひとつの仕事を「好きだから」とやり続け、いっこうにそれらしい成果を挙げていない人を見かけますが、仕事でこの領域に関わっているかぎり、いわゆる“ジコマン”に浸っているのと大差ない状態です。

 

その④“ゴミ箱”領域

  1. 「他人から頼まれた」 そして 「他人でもできる」こと
  2. ・やってはいけない、あるいは、断るべきことです。
  3. ・それができないなら、もっとうまくやれる人に頼むべきことです。
  4. この領域に関わるのは、残念ながら、自分にとっても周りにとっても不幸を生むだけになります。
  5. 例えば職場であれば、「適材適所」が無視されて、「それがしくみだから」とか「それが昔からのやり方だから」という、意味不明の理由で割り当てられた、あきらかに自分には向いていない仕事です。
  6. できればすぐに、それをもっとうまくやれる人に譲ることをお勧めしますが、やむを得ず関わる必要がある場合は、「淡々と、時間をかけず、感情も入れず、たださばく」というやり方をお勧めします。
  7. いかがでしょうか。
  8. 自由意志によって主体性を発揮することを目指し、有効なポートフォリオを組むための4つの基準でした。
  9. すぐにでも今の仕事や作業をすべてリストアップし、それらがどこの領域に属するのか、
  10. やってみてはいかがでしょうか?

 

頭が整理され、気持ちが軽くなり、本当に自分にとってチームにとって必要なことのために

有限のエネルギーを使うことができるようになります。

 

 

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

才があって
愚かな人はいるが、

分別があって
愚かな人は決していない。

2021/03/08

未来予測よりも大切なこと

こんにちは。

 

まさに、三寒四温。

一日ごとの気温差が激しい今日この頃ですが、この先にはあの穏やかな春の陽気が待っています。

体調に気をつけながら、春の到来を待ちたいものです。

 

今回のテーマですが、それ方面の人からは苦言をもらいそうですが、

「未来予測の不毛さ」について、考察してみました。

 

 

■またぞろ「占い」ブームの到来

 

コロナ禍のように、世の中の先行きが見えなくなると、必ず「スピリチュアル」な話が身の回りで増えてきます。

 

中でも、ここ数年鎮静化していた「占い」が、ブームになっているようです。

なんとゴールデンタイムでテレビ番組なっているくらい。

 

有名人などに声をかけて、頼んでもいないのに占いをする、というスタンスを見ると、

これまでのスピリチュアル番組よりも、アグレッシブさを感じてしまいます。

 

 

世の中が不安定になってくると、誰だってこう思うはずです。

「この先どうなるのだろう?」と。

 

そして、なんとか未来を予測する手がかりはないかと、

それらしい情報がありそうなウェブ上のサイトを訪れたり、

本を買ったり、

多少詳しそうな知人に不安を打ち明けたり、

先に述べたように占い師に相談したりします。

 

かくいう私も、古代東洋思想の「陰陽五行」を永年勉強していますが、

こちらは占いではなく、「万物の変化の法則」の読み解き方、というニュアンスに近いものです。

 

 

■VUCAの時代に、”予測”なんてできるのか?

 

さらに言えば、かくいう私も、

VUCAの時代」という言葉にフォーカスが当たるようになってからは特に、

「来年を予測する」といった類いの本を、毎年、暮れになると買っては読んでいました。

 

近未来の世界情勢はどうなる?というタイトルを見れば、やはり気になります。

コンサルタントという職業柄、「来年は、どんなキーワードをもとに社会は動いていくんだろう」といったことは、押さえておきたいものです。

 

しかし、じつは、そうした予測本を読むことを、ここ2~3年でやめてしまいました。

特にここ10年ほどで発刊された、主な未来予測本には、残念ながらあまり内容に新鮮味を感じなくなったのです。

 

 

■私が未来予測の本を読まなくなった理由

 

なぜだろうと考えてみると、だいたいこんな理由です。

 

まず、内容が、前の年までの焼き直し程度でしかない、ということです。

 

「そのこと、去年も言ってなかったっけ?それなら、もう知ってるんだけど」

といった既視感を覚えることが、やたらと目立つようになってきたのです。

 

また、もう一つの理由として、世の中の変化の速度が、人が予測するよりもはるかに速くなってきた、と実感しているからです。

 

いつの間にか、私たちは「想定外ばかりが起きる時代」に生きています。もっと言えば、「想定外が起きることが普通の時代」です。

もちろん、「想定外」というくらいですから、そもそも予測はできないことなのかもしれません。

とはいえ、特にパンデミックについて、「来年は、世界中に新型ウィルスが蔓延するかも」などといった情報を、

はたしてどの本が予測していたでしょうか。

私が知るかぎりでは、なかったように思います。

 

つまり、「昨年はまったく予測できなかった今年」という現象が何度も起きているうちに、こうした「予測本」に、個人的にはあまり価値を感じなくなったというのが、正直なところです。

 

 

■みんなが信じる、あの常識はどうなるのか?

 

そんな風に私が言ったところで、相変わらず世の中には、こういう常套句が根強く残っています。

「未来を予測し、今できることから備えよ」。

よく聞きませんか?

 

もはや、このセリフを書きながら、勝手にニヤついてしまうくらい、説得力がありません。

 

にしても、どうでしょう。本当にそんなことは可能なのでしょうか。

 

今私たちの身の回りに起きていることの数々。

それらを見れば見るほど、「未来を予測し、」という言葉が、どこか空々しく聞こえてしまいませんか?

 

専門家ですら、予測を外しまくっているのが現実です。

私たちのような街場のビジネスマンが予測する未来とは、どれほど現実味があるのでしょう。

 

だから、私は最近こう思うようになりました。「未来を予測することに、たいした意味はない」と。

 

 

■デフォルトが”想定外”の時代のシアワセとは?

 

私たちが生きている時代は想定外だらけです。

パンデミック、自然災害、はたまたテロやクーデターなど、味わったことのないほどのショッキングな出来事が、次から次へと起きるのが、今の世の中なのです。

 

予測して備えるどころか、実際にそれが起きてしまってから右往左往する、ということが常となっているのではないでしょうか。

 

それが現実だからこそ、最近の人々の気持ちにも変化があるように感じます。

 

つまり、そんな時代に生きる私たちはこれまでになく、

「生きる」という生々しい感覚に、
敏感に、そして真剣に考え始めている

ということです。

 

病気や災害、良くない出来事などが、実際に自分や身近な人に迫ってくるような感覚を味わい、

そのことで、「命の尊さ」というものを、他人事や知識だけはなく、体感としてかみしめているのではないでしょうか。

 

 

■未来予測よりも大切なこと

 

未来を予測するよりも、

身近な人の安全や自分の周りの環境と向き合って、「どうやって生きていこうか」と、

自分なりに考えて行動することが、自然になってきているのです。

 

そういうご時世というのは、えてして

今日はなにも起きなくて良かったね」と

言い合えることが、じつは貴重だったりします。

 

そのことに、私たちはうすうす気づき始めているはずです。

 

明日をも知れない世の中とは、よく言われることです。

そんななかで、「未来を憂うより、今日、確実に実感できる幸せをかみしめる」という風潮は、

これからますますハッキリしてくるのではないかと思います。

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

あまり利口でない人たちは、
一般に自分のおよび得ない事柄については
なんでもけなす

2021/03/01

ダイバーシティ「あべこべ論」

こんにちは。

 

少しずつ春らしい陽気を感じる季節になってきましたね。

 

今回は、ここ最近の、五輪組織委員会や国会での騒動をはじめ、

世間全体になんとなく流れ始めている「異端をたたく」というメンタリティについて、

私の考察を綴ります。

 

 

■過激化してきた「批判」運動

 

「あの人の女性蔑視発言はけしからん」

発言自体の問題性はさておき、ある偉い人が最近、こう叩かれましたね。

 

また、私たちの身近ではこんなことが起きています。

「あいつは体制批判をしている。けしからん」

「あの人はチームの足並みを乱す。けしからん」

という批判の声。

 

自分が思う正義と違う人がいたら、批判したくなる。

この感情自体、人間であれば、誰だって持っているものでしょう。

 

ところが、特に最近の世間の流れに、私は少し息苦しさを感じることがあります。

 

それは、批判が過激化している、と思うからです。

 

 

■それは、「臭い物にフタ」運動ともいえる

 

例えば、

「マスク警察」や「(車の)ナンバー警察」と揶揄される人たち。

 

あるいは、

例の五輪組織委員会。問題発言をした人を、フクロ叩きにした人たち。

 

私は、この両者は本質的に同じタイプなのでは、と思っています。

 

こういうタイプの人たちに共通しているのは、

自分たちの正義とする基準から少しでも外れると、

その人を批判するだけにとどまらず、

とどめを刺すまで、手を緩めず追い込む

という特徴です。

 

例の女性蔑視発言を受けて、

「追い詰めます、絶対に」とTwitterで発言した、国際オリンピック委員会の委員がいました。

 

私はこれを見て、背筋が寒くなる思いがしました。

 

たしかに現代は、ダイバーシティが重んじられる時代ではあります。

しかし、ある人の発言がダイバーシティに反する考えをしたからといって

「追い詰めます、絶対に」と表明するって。

 

それ自体、「多様な意見が存在することを、許さない」という意思表明ではないのでしょうか。

 

自分はダイバーシティ推進の旗手のつもりで、

ダイバーシティに反する多様な意見をつぶす。

つまり、その姿勢こそが、ダイバーシティの精神に反している、と言えないでしょうか?

 

私は、こうした、徹底的に追い込むような、過激化された批判は、

「臭い物にフタ」のわかりやすい行動パターンだと認識するようになりました。

 

 

■繰り返される悲しい歴史

 

世間が「是」とする多数派意見。

 

これを批判する少数派意見は、おおむね「否」とされます。

 

 

多数派によって、徹底的に否定・批判され、

表舞台から消えるまで追い詰めらて、

「なかったこと」になってしまった少数派の「否」の意見は、

いったいどこに行くのでしょう?

 

とうぜん、消えるはずはありません。

 

「皆と違うから駄目だ」という理由で、表舞台から無理やり引きずり降ろされた

「個人の意見」は、当然そこで消えるはずもなく、

表舞台ではなく、まるで地中に深く潜るように、自分の意見への賛同者を探して歩きます。

つまり、本音を言えるコミュニティを静かに、しかし、強固に形成していくのだと思います。

 

言いたいけど言えなかった本音と本音。

 

こういうものは、ものすごく強いエネルギーで結びつきます。

 

そして、マグマのように溜まったそのエネルギーはあるとき、地中では息苦しくなり、

いよいよ、恐ろしく強烈なパワーや影響力をもった状態で、また表舞台に舞い戻ってきます。

今度は、制御できないほどの勢いをもって。

 

まるで、核燃料の不法投棄が蓄積したことで生まれた、「ゴジラ」です。

 

5年前もこんなことがありましたね。

アメリカ合衆国の表舞台に登場したトランプ氏は、

当時はマイノリティと言われた、差別主義者たちのの気持ちを代弁する形で、

まさに勢いづいて大統領にまでなりました。

 

 

■組織運営は「臭い物にフタをしない」こと

 

ダイバーシティの時代です。

 

単純な理論ですが、ダイバーシティを推進するためには、

ダイバーシティを批判する人たちを消し去ってはいけません。

これこそ、多様性尊重の精神に反することです。

 

臭いものに完全にフタをしてしまい、「なかったこと」にされた少数派意見は、

行き場を求めてただよい、

同じ本音どうしでつながり、

見えない場所で増幅していきます。

 

増幅し、力を蓄えた意見は、

もはや少数派意見ではなく、大きな影響力を持つ多数意見ほどに成長し、表舞台に戻ってきます。

 

 

「体制を批判するやつは、けしからん」

「チームの輪を乱すやつは、けしからん」

 

よく言っていませんか?

 

その言動を、力任せに封じ込めようとすればするほど、

いつか、思ってもみなかったような反動を食らいます。

 

 

エグゼクティブであれば、することはシンプルです。

 

臭い物があれば、おそるおそる、嗅いでみるのです。

 

フタをしてしまい、あとで異臭騒ぎが起きては、もう遅いのです。

 

 

フタは、「半開き」ほどに空けておき、ときどき換気をしてあげてください。

 

 

風通しの良い組織とはつまり、文字通り、

 

換気の良い環境のことを言うのです。

 

 

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

われわれの美徳は、ほとんどつねに、
仮想した悪徳にすぎない。

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