2020/10/27

頭痛がするほど難しい質問

こんにちは。

 

穏やかな秋晴れが続いていますね。

 

今日本当に久しぶりに都心に出たのですが、都のキャンペーンも手伝ってか、

想像を超える人出でした。

当社から見られる皇居の外堀あたりも、ちょっとずつ紅葉が見られます。

 

今年も残すところ2カ月少々。

WITHコロナの一年間は、あらためてじっくり振り返る価値がありそうです。

 

さて、今回は、私の専門領域からのテーマです。

 

多くの企業の経営者の方々とお話をしているときによく聞くのは、「社員の主体性」についてです。

これはコロナ前から変わっていないようです。

 

要は、「もっと社員には主体性を発揮してほしい」ということになります。

パンデミックにより、世界の隅々まで「パラダイムシフト」が行き渡った今も、そんな嘆きを聞くことは、不思議な感覚です。

 

同時に、焦燥感のようなものも覚えました。

「価値観がひっくり返る」という経験をしたのに、私たちははたして、こんなことをまだ経営者に言わせておいて良いのでしょうか?

企業が「正解」を見つけられず苦しんでいるのに、社員は主体性を眠らせたままで良いのでしょうか?

 

 

■今こそ問われる「あなたは何者なのか」

 

ふだんからコラムで書いていますが、「個」が「組織」をけん引すべきときは、今をおいて他にありません。

「個」が「組織」に対してかつてないほどの影響力を手にしたということは、もはや事実です。

 

ということを認識すれば、とうぜん考えなければならないのは、

「そんな自分は何者なのか」ということです。

 

しかし例えば、こんな風に質問されるのを嫌がる人がいます。

「あなたは、どうなりたいの?」

もちろん、何の前触れもなくこんなことを聞かれれば、多くの人は当惑するでしょう。質問が粗いし、あいまい。あるいは、何を知りたいのかわからない、と彼らは言います。

 

しかし、こうした質問が粗くて曖昧で、意図が不明確だとしても、それに向き合えないという心の状態は、やや深刻な問題を抱えているように思います。

 

なぜなら、こうした質問に答えられるのは、他の誰でもなく「私」しかいないからです。

 

職業柄、私は、わざとこんな曖昧な質問を投げかけることがありますが、

その真意は、「自分と向き合うことに慣れている人か、そうじゃないか」を見極めたいと思っているからです。

 

気持ち良いくらいに明快に答える人がいる一方で、もちろん明らかに嫌がる人もいます。

だからといって、後者の人がダメだと言っているわけではありません。

こうした人たちは、単に、「自分の声を落ち着いて聞く」習慣がないだけだと思っています。珍しいタイプではけっしてないとは思うのですが、こうしたタイプに自分が属しているなと思った人は、注意が必要です。なぜでしょう。

 

 

■みずから封じ込めてきた「直観」

 

それは、永らく自分の内にある生の声、つまり「直感」を封じ込めてきたからです。

忙しかったり、組織から任された仕事が多かったり、関わる人が多かったりと、さまざまな理由があるでしょうが、

永らく封じ込められた直感は、徐々に摩耗され、いずれ働かなくなってしまいます。

 

このような状態になると、人から言われたこと、任されたこと、頼まれたことに応じることだけに精いっぱいになり、結果、人から言われた範囲の中でしか動かなくなります。

自分で工夫してもっと良い仕事をしてみよう、とか、問題点を発見して提言してみよう、といった主体性はまず出てこなくなります。「言われたことしかやらない」と言われる人たちは、こうして出来上がるのです。

 

・直感をみずから封じ込める。

・判断基準が見当たらないから人の声に従順になる。

・人の判断基準で動いている自分、人の言われたことだけをしている自分に気づかず、自分じゃない人でもできることをいつまでも回し続ける。

 

つまり「主体性がない」とは、こうした一連のパターンから生まれる行動と言えます。

 

ここであらためて聞きます。「あなたは何者ですか?」。

個が組織にたいして大きな影響力をもつようになった今、

自分にしかわからない質問に、あえてまじめに取り組んでみるべきだと思います。

めんどくさい、むずかしい、という理由で避けてはいけません。

 

 

■瞑想よりもマインドフルよりも

 

よく言われる「己を知る」ということが、主体性を自由意志を回復させる第一歩です。

もっともシンプルな方法を、ここでお伝えします。なにも、毎日瞑想しようとかマインドフルになろう、ということではありません。

それは、簡単な「セルフコーチング」です。自分自身の中にある答えを探るために、自分に問いかける、という内省のワークです。

 

私は例えばこんなシンプルな質問を、自分によくします。

 

・自分は何ができる人か?何ができない人か?

・自分は何に価値を感じるか?何に価値を感じないか?

・自分の感情が高まるときはどんなときか?感情が動かないときはどんなときか?

・自分はどんなことをするのが好きか?どんなことをするのが嫌いか?

・自分はどんなことを正しいと思うか?どんなことが間違っていると思うか?

(何を受け入れられて、何を受け付けないか)

・自分はなぜ今「これ」をやっているのか?

(「これ」とは、仕事、趣味、子育て、いま手に取っている本など、自分が今関わっている無数の事柄)

・自分は人から何と言われているか?それについてどう思っているか?

・自分は自分の気持ちをどう扱っているか?

・自分は何者なのか?

 

何かを調べようと思えば、スマホでささっと答えが見つかる時代です。

一方でこれらの質問は、スマホでは探せません。そして、頭痛がするくらい、漠とした質問です。

 

しかし、答えがすぐ見つからないものには、それ相応の価値があります。

自分にしか答えられないことに向き合いましょう。主体性と自由を取り戻すために。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

人はみな記憶力の
乏しさを嘆く。

しかし、誰も判断力の
乏しさを嘆かない。

2020/10/12

この「雰囲気」のなかで正気を保つには

こんにちは。

 

今回も、台風は日本の一部に大きな傷跡を残していきましたね。

被害に遭われた地域の一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。

 

先日、じつに興味深い報告会を視聴していました。

それは、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」によるものです。

 

今回のパンデミックにおける、日本政府の対応を検証した内容でした。

この調査会は、産学が連携したワーキング・グループとのこと。

ということは、「官」(政府)の息がかかっていない、独立した存在であるということです。

つまり、非常にニュートラルに、忖度なく、そして容赦なく、

コロナについての政府の取り組みを分析できた、ということになります。

内容を聞くに、非常に興味深い話が続きました。

 

特に印象に残った調査会の一言は、

「東日本大震災から、なにも学んでいないように思える」

というニュアンスの言葉でした。。。

 

これが何を意味していたのか、資料は、書籍でも発売されるということで、さっそく予約をしました。

組織運営とも共通する「日本モデル」について、私なりに学習したいと思います。

こうした調査会のような存在は、現代社会で自分の理性を冷静に保つために、非常に価値あるものだと思った次第です。

 

さて、かなり前置きは長くなりましたが、今回のトピックは、このお話の延長です。

 

じわじわと社会を覆いつくす「雰囲気」について、考察します。

 

 

■パンデミックで「雰囲気」が生まれた

 

上記の調査会でも触れられていましたが、このパンデミックで白日の下にさらされたのは、なにも政府の対応ばかりではありませんでした。

 

「一般市民の典型的な思考・行動パターン」も、恥ずかしくなるくらい明らかになっています。

 

・フェイク情報の拡散

・トイぺ、マスク、消毒液、果ては食糧にいたるまでの買い占め

・マスク警察

・他県の車両ナンバー警察(そう呼ぶかどうかは知りません)

・東京の締め出し

 

などといった、多くの一般市民の行動は、今となっては「信じられない」と言えるでしょう。

 

しかし当時、大半の人たちがこんなことを大真面目にやっていたことは事実です

 

それは、調査会でも報告されていましたが、

大きな力がひとつの方向に動き始めると、否定的な意見が言えない雰囲気を作る」とのことです。

 

「雰囲気」

これこそがまさに、

細菌のように私たちの脳を侵食し、環境を覆いつくし、思考まで奪う、最大の原因です。

 

戦時中も、真実を知らない多くの市民は、「雰囲気」によってものごとを判断しました。

戦争は善、戦死は美、ぜいたくは敵、洋物は悪、誰もかれも資源を差し出さなくてはならない。

こうしたことを、ほとんどの市民がみずから進んで加担していたことは、今となれば驚きです。

 

が、このコロナ禍で、またしても本質的には同じようなことが繰り返されていた気がします。

 

とはいえ戦時中とコロナ禍では、圧倒的に異なる点が、1つあります。

それは、私たちが手に入れられる「情報量」の差です。

 

つまり、その気になれば、真実には簡単にたどり着く、ということです。

 

にもかかわらず、多くの人は、真実を知ろうとしたのかしないのか、

結局は「雰囲気に乗っかる」ばかりだった、ということ。

 

真実とは何か。

すべては、数字で表されるものです。

 

コロナウィルスそのものの真実は、「受診者」「陽性者」「重傷者」「死亡者」の数の対比で、ものの数分もあれば把握できます。

ちなみにPCRについての真実も、学術論文をネットで引っ張れます。

 

恣意的な情報を湯水のように流すニュースを見ている間に、

 

人の行為を見てヒステリーになっている間に、

 

数分間だけ落ち着いて、手元のスマホで、真実をたどる。

 

簡単なことなのですが、

それくらいのことさえ難しくするのが、「雰囲気」の恐ろしさ、とも言えるのでしょう。

 

ふだんからコラムでも言っていますが、こうしてみると、やはり「人ってさほど進化はしていないのだな」とあらためて確信するにいたりました。

 

 

■正気を保てる人、保てない人

 

私ももちろん、パンデミックとインフォデミックによって、相当な混乱をしたひとりでもあります。

 

こんななかで私にとって大切だったのは、「正気を保つ」ことでした。

 

今こうして、コラムなどを書きながら、

あらためて私なりに振り返り、「雰囲気」が生まれたときにどんな行動を取るかによって、

おおまかに分けられるタイプのようなものがあるのではないか、と思いました。

 

ここからは、少し自分の考えも整理しながら進めますので、もう少しお付き合いください。

 

雰囲気が生まれると、人の行動は、大きく3つに分かれます。

 

1)雰囲気が生まれると、それに乗っかる/飲み込まれる

マスク警察や買い占めに走った人は、すべてここに属します。

よく調べないで、ただ「怖い、怖い」と言っているタイプの人たちですね。

多くの人がここにいるように思います。

 

2)雰囲気が生まれると、それに反発する

敢えて人に迷惑をかける行為をする人たちのことです。

1)よりも圧倒的に少数ですが、残念ながらいます。

 

3)雰囲気が生まれると、それを疑う

バッシングを受けながらも、結局は正論を言っていた人たちのことです。

極めて少数派ですが、確実にいます。

もちろん、結果として間違っていた情報を流した人もいましたが。

 

どんな態度をとるかは、もちろん自分次第です。

にもかかわらず、態度を選ぶ権利がありながらも、それを選ぼうとしない人が多かった、

ということがわかった気がします。

 

そして、その雰囲気の中で唯一「正気を保つ」ことができたのは、3)の人たちでした。

 

 

■雰囲気は感情を支配する

さらにわかったことがあります。

 

それは、「雰囲気は感情を支配する」ということです。

 

感情は多くの場合、理性を凌駕します。

つまり、ある雰囲気が生まれると、大半の人たちは理性を失ってしまう、とも言えます。

 

これは、考えようによっては恐ろしいことです。

意図的に雰囲気さえ作り出せれば、多くの人を都合の良いようにコントロールもできてしまうからです。

SNSやチャットアプリで押し寄せた、「噂」。

まさにこれらが、じわじわと雰囲気を作り出すためのしかけだったとしたら。。。

 

 

■真実を探ろうとする態度が求められる

そしてやはり、雰囲気の中で正気を保つには、「自分で真実を調べる」という、

たいへんシンプルな行動が必要となります。

 

もちろん、たどり着いたものがじつはフェイクだった、ということもあります。

 

しかし、私たちに必要なのは、

真実を得るかどうかよりも、「真を実探ろうとする態度」なのです。

 

少なくともその態度が、身近な人たちの安心感を生みます。

ひとりでも多くの人の、正気を取り戻させることになるからです。

 

私は、組織開発の専門家として、この「雰囲気」というものを扱っています。

そして、雰囲気というのは、じつはいくつかの要素に分解することできます。

わかればわかるほど、正気が戻るような気がします。

 

が、これについては、長くなりますので、別の機会にお話したいと思います。

 

 

雰囲気にのまれそうになったら、正体(真実)を突き止める態度を選択する。

正体がわかれば、対処の仕方だってわかるはずです。

 

今は、ひとりでも多くの人が、雰囲気のストレスから解放されることが重要だと思っています。

 

 

本日はここまでといたします。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

皆様が清々しいを味わえていることを祈りつつ。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

最も微妙な賢明は、最も微妙な愚かさにもなり得る

2020/10/05

”人生戦略”のポートフォリオ

こんにちは。

 

気づけば10月。

今年も残すところ3か月後を切りましたね。

このままいけば2020年は、パンデミックに始まり、コロナと共存する一年を過ごすことなりそうです。

 

そんな環境の激変を実際に体験した私たちは、誰もが

「幸せって何だろう」と自問する機会が増えたのではないしょうか。

 

私自身も、今回ほど社会に湧き出てくるさまざまなノイズに振り回された経験は、かつてなかったように思います。

 

しかしよく考えてみると、世の中はいつだって、タチの悪いノイズ過多、つまり

「インフォデミック社会」であると言えるのではないでしょうか。

 

今回は、そんなインフォデミック気味の世の中で、いかに幸せをつかむのか、

についてあらためて考察したいです。

 

 

そのキーはたったひとつ、

「エネルギーのポートフォリオ」です。

 

”キラーストレス”という言葉がもてはやされていますが、その筋の専門家によると、

私たちは、変化を受け入れようが、拒否しようが、変化そのものに対してストレスを感じる

生き物である、ということです。

 

 

変化そのものがストレスになる

 

私はてっきり、

変化を前向きに受け入れ、前進するパワーに転換していけば、ストレスにはならないと思っていたので、

その事実を聞いたときは、驚きました。

 

ということは、

私自身もこの環境の変化によって、相当なストレスにさらされているということになります。

 

楽しんでいたつもり。

前進していたつもり。

 

しかし、その裏で、

 

夜眠れなかったり。

眠れてもすぐに目が覚めたり。

イラっとすることが多くなったり。

 

確かに、思い当たるフシはあります。

 

こうして私自身の中に起きている変化をよく観察してみると、

ストレスの原因が見えてきました。

 

そして、その原因は、ひとつに集約されてしまいました。

 

 

ストレスの原因は「ノイズ」

 

私にとってストレスの原因は、「ノイズ」でした。

 

ノイズというのは、つまり雑音です。

本質を見えなくする、有形無形の、不必要なものです。

 

しかしタチが悪いのは、

ノイズは一見すると、自分にとって「価値のありそうなもの」に見えてしまうのです。

 

よくよく思い出すと、パンデミックのさなか、私にとってのノイズはたくさんありました。

 

・コロナに関する、数えきれないほどの虚偽情報

・毎日あおるように報道される、無意味な数字

をはじめ、

・ビジネスの先行きを不安にさせる情報

あるいは、

・同業者がどんな動きをしているのか、

といった、今考えるとまったく意味のないことが気になっていた時期がありました。

 

これらすべてを、ノイズと私は呼んでいます。

 

繰り返しますが、ノイズは一見、それがなんとなく価値がありそうに見えてしまうのです。

 

なぜならそれは、

意図的に流されているデマだけでなく、

「良かれ」と思って伝えられる「善意からの情報」も含まれているからです。

 

 

 

ノイズは、自分から大切なものを遠ざける

 

ノイズは、自分にとって本当に大切なものから、自分を遠ざけようとします。

 

特に今回のように、あまりに多い情報があり、それによって強いストレスにさらされ続けると、

どんどん理性が薄らいでしまい、自分にとって「必要か、そうでないか」の判別がつかなくなります。

 

いかにも信じやすい情報が多く

人のことが気になったり、

焦ったりして、結果

本来自分の強みでないところで勝負しようとしてしまったり、

余計なことを始めてしまったり、

と、自分の求めているものから、ものすごく遠回りしてしまいます。

 

私も今回のパンデミックのさなか、本来の自分の目的に立ち返るまで、

最初の1カ月はそんな状態を味わいました。

 

ですから、

このノイズというものさえ排除できれば、

私はもっと早く、確実に、自分にとって必要なものを手に入れられるはずだ、

と思ったのです。

 

 

エネルギーの転換先

 

私なりに苦しんだりもがいたりして、分かったことがありました。

 

それは、

幸せをつかむためには、

エネルギーのポートフォリオをどう組むか

ということです。

エネルギーというと、にわかに”スピ系”の匂いがしだすかもしれませんが、

私が考え、実践していることは、現実的です。

 

エネルギーは目に見えません。

しかし、それは「自分で実感できる何か」に転換できます。

 

私が考えるエネルギーの転換先は、こうです:

 

1)お金

2)時間

3)所有物(モノ)

4)体力

5)集中力

 

この5つのエネルギーをどうやって配分するかが、人生の豊かさを決定すると思っています。

 

人生戦略のための、エネルギーのポートフォリオです。

 

 

”人生戦略”とは、エネルギーのポートフォリオ

 

誰しも、持てるエネルギーは限られています。

 

朝起きて、夜寝るまでに、エネルギーは徐々に、確実に消費されて、なくなるようにできています。

そして食事や睡眠によって、エネルギーはまたチャージされます。

 

つまり、

限りある資源を、どこにどう使うのか

ということが、人生の戦略となります。

 

そして、そのエネルギーを投じる先を、間違えてはいけません。

 

自分にとって本来は必要ないこととは、例えば。

 

・人の悪口や陰口をたたく/不平不満を言う

(時間、体力というエネルギーの浪費)

 

・自分に向いてないことをやり続ける

(時間だけでなくお金、体力、集中力の浪費)

 

・意味のない会合や飲み会に出る

(ほとんど5つのエネルギーの浪費)

 

などなど、

 

限りある資源をムダなものに使ってしまえば、

 

本当に自分が投じるべきだった大切なことに回すエネルギーが

 

残されていない、という事態を招きます。

 

ゲームなどで、最初のザコ相手に必殺技を使い切ってしまい、

ボスキャラが出てきたときにはすでに瀕死状態。

 

こんな事態とよく似ています。

 

本当に自分にとって何が大切なのか。

人生にとって何が幸せなのか。

 

それさえ分かっていれば、投じるべきエネルギーと、そのポートフォリオを組むことは

難しいことではありません。

 

そうです。まずは、「己を知る」ということですね。

 

ふだんは省エネ。そして、

いざというときに持てるかぎりの資源を投じる。

私は今、こんな生き方を選んでいます。

 

皆さんは、いかがでしょうか?

 

 

ノイズから解放され、幸福を実感できる毎日が来ることを祈って。

 

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

人間はときに、

 

他人と別であると同じほどに

 

自分も別人である。

2020/09/29

半沢直樹と権力構造についての考察

こんにちは。

 

ここ数日、秋らしい穏やかな天候が続いていますね。

冬が来る前に、コロナと酷暑の疲れやストレスを癒しておきたいものです。

 

さて、今回は初めて、テレビコンテンツから得た考察を共有したいと思います。

流行りものを取り上げることに若干の抵抗を感じますが、

あの「半沢直樹」の生き方について、考えてみました。

 

最終回まで息もつかせぬ展開に、多くの方が毎回の視聴を楽しみにされていたのではないと思います。

私もその一人でした。

 

ここで、多くのファンがいるであろうことを知りながら、私が主人公に感じ続けた違和感をこれからシェアしたいと思います。

 

もちろん、これがあくまでテレビドラマであり、フィクションであるということを前提にお話を進めます。

 

 

『半沢直樹』ファンとしての違和感

 

個人的に、主人公にたいして感じたいくつかの違和感を整理したところ、主に2つの点に絞られるのかなと思いました。

 

・極端なまでの権力嫌い

 

・結局今のところ、誰も救っていない

 

というものです。

 

 

では、ひとつずつ考察していきます。

 

「極端なまでの権力嫌い」

 

時代は奇しくもコロナ禍。

 

私たちの身の回りの環境が激変し、不安しか見えない。

権力の象徴である政府は、どこか的外れな政策ばかり打つ。

思うように外にも出られない、

会いたい人にも会えない。

 

こうして、多くの人たちがこれまでとは異なる種類のストレスを味わっているさなかに、

このドラマは始まりましたね。

 

深刻なストレスを抱えた私たちの気持ちを、まるで代弁するかのような主人公。

現実的には「そうしたい」と思っていても、まずできないことを、次々とやってのけます。

 

そんな主人公の姿に、私たちは胸のすくような思いを、いつも以上に味わうことができたのではないでしょうか。

そして、彼の折れない心、ブレない行動に、現状の苦しさのハケを求め、主人公はそれに応え続けてくれました。

 

つまり、現状からの「反動」をこれほど見事に引き受けたコンテンツは、他にはなかったように思います。

今の社会のストレスの受け皿となった、このドラマやスタッフの存在意義は、ものすごく高いですね。

 

ただ、
私は個人的に、そのあたりから一つめの違和感を持ってしまいました。

 

回を追うごとに、主人公の言動が、組織人として常軌を逸したレベルになっていくからです。

 

彼は、頭取を信頼し、また尊敬しているという主旨を口にしています。

しかし、彼がやることなすことはことごとく、

自分が尊敬する頭取その人を追い詰めていく結果になっていくではありませんか...

 

彼の正義感はすごいです。

「銀行を救いたい」

「がんばっている庶民の暮らしに貢献したい」

彼はそう口にします。

 

それなら、彼の行動はいささか的外れになるのではないでしょうか。

尊敬する頭取を追い詰めて、銀行の機能を不全に陥らせることが、はたして銀行を救い、庶民の暮らしに貢献することになるでしょうか?

 

過去の過ちをすべて白日の下にさらし、

銀行にミソギをさせないと、

本当にその目的は果たせなかったのでしょうか?

 

もちろん、過ちは正すべきだし、あの銀行は自浄作用がもはや機能しなくなっていたのは事実だと思います。

が、「頭取辞めちゃったら、元も子もないんじゃない?」と思ってしまったのです。

 

以前から「行内融和」を唱えている頭取。

なんで、そんなトップを、辞職するほど追い込んでしまうの?

 

これは、完全に「戦術ミス」だと思ったしだいです。

自身の野性的な勘と、凄まじいまでの行動力、そして、見事なまでに優秀なサポーターを過信していたのでしょう。

 

残念なのは、そのサポーターの誰もが、「お前、目指してる方向は正しいんだけど、やり方が間違ってるよ」と言ってくれなかったことです。

 

目的、戦略、戦術の3つのバランスが、どうやら崩れてしまった。

それに誰も気づかなかったのではないか、と。

 

勝手な考察ですが、おそらく主人公は少年時代に味わった銀行からの仕打ちが骨の髄までしみわたっているのか、
大義を掲げながらも、「権力」を匂わす存在が現れたとたん、ほぼ反射的に反発をしてしまうのではないのかな、と思いました。

 

 

「結局今のところ、誰も救っていない」

 

主人公は、今のところ、誰も救えていません。

救われたのは、ドラマを見ている間の、私たちの気持ちだけだったのはないかと…

 

救ったどころか、じつに多くの人に迷惑をかけてしまったのではないでしょうか。

一例を見ても、

 

・最大のライバルである、「超一流バンカー」と言われた大和田常務の辞任

・あろうことか、「行内融和」を推し進める最大の力を持っていた、中野渡頭取の辞職

・社会にもっとも影響力を持っていたであろう白井大臣の離党(幹事長の秘書の辞職もあった)

・彼のサポーターたちを危機的な立場に追い詰めたこと

・愛妻の「稼ぎ頭になる」宣言というプレッシャー

 

厳しい見方をすれば、半沢直樹が思い描く「成功のストーリー」に、誰もかれもを巻き込み、

最後に気持ちが良くなっていたのは、彼一人だけだった…

とも言えなくないかと。

 

不正を暴くのは、とても気持ちの良いことです。

 

しかし、「その後どうすんだ?」ということの方が100倍も大事なのです。

 

その算段が、主人公にあったようには思えません。

 

実際、さっさと自分も退職願を提出してましたから。

「え?ここまで混乱させておいて、自分はケツまくるの?」

思わず突っ込んでしまいました。

 

 

そして、中野渡頭取から託された「行内融和」。

 

しかし、主人公は今まだ「次長」…

銀行でいえば、まだ「小僧」です。

 

そんな彼が「頭取を目指す」と言っています。

恐らく順調にいっても、15年くらいかかるのではないでしょうか。

 

企業内の混乱を収めるのは、当たり前ですがトップの仕事です。

 

彼は多くの功績を挙げましたが、もっともやってはいけない「禁じ手」をやってしまったように思います。

 

組織を混乱に陥れて、自分はトップができない。

つまり、権力がないからその責任をとることができない。

ということです。

 

これが、私がのめり込みながらも、感じてしまった違和感です。

 

彼は、目的に沿った行動をとる際に、
よくよく「誰がこの状況を救えるのか?」というシンプルな権力構造を、
冷静に分析しておくべきだったのではないでしょうか。

 

 

しかしです。

最終回、そんな違和感は、CM前のテロップで、納得に変わっていったのです。

 

そのテロップには、

「悪徳政治家」「クソ上司」に1000倍返しなるか?

というような言葉が映っていました。

 

なるほど。と思いました。

これはいわゆる「時代劇」だったんだな、と。

 

悪代官とそれに取り入る商人を、

刀の代わりに地位を奪うことで、

見る者の胸をスカッとさせる、

現代版時代劇なんだと。

 

というわけで、こんなところまで考察をさせてくれた「半沢直樹」は

あらためてすごいコンテンツだったんだな、と思います。

それだけ私も夢中で見ていたんです(笑)

 

 

今回は、ここまでにしたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

大いなる欠点を持つことは、

偉人たちのみに限られる。

 

 

2020/09/21

企業風土は「上司のマネ」で作られている

こんにちは。

多くの方が連休明けを迎えられていると思います。
東京はようやくナントカキャンペーンの対象になり、この夏のストレスを発散すべく、各地では多くの観光客でにぎわったようです。

 

ただ、その一方で、都市だろうと地方だろうとそんな事情とは関係なく、リスクと背中合わせで働き続けるエッセンシャルワーカーの皆さんに、あまりスポットが当たらなくなっているのが少し残念です。

かくいう私も、熱海の保養所で仕事や創作活動をしている身ですが、あらためて、こうした方々に心からの敬意と感謝を述べたいと思います。

 

 

さて今回は、企業風土改革を専門とする私が、
すごく簡単に「企業風土とは何か?」を説明できないか
と、考えた内容を共有したいと思います。

 

私なりに「そういうことかもしれない」との思いにいたったきっかけは、
当社の保養所からすぐのところにある海浜公園で、ボンヤリ釣りをしていたときのことでした。
この日はたまたま息子たちを連れてやってきていたのですが、そこで、次男がブツブツと文句を言っているのです。
聞いてみれば、釣り客のマナーの悪さについて、でした。

 

子供は身近な大人のマネをする

「いい歳した大人が、自分が持ち込んだ釣り糸とかビール缶を、そのまま置いていくなんて信じられない」とのことです。
そんなこと気にも留めず、淡々と釣りに興じる長男とは違い、彼の正義感はかなり強く、
「中二の俺ですら、持ってきたものは全部持ち帰ってるのに」と怒り心頭。

 

ふだんから私は、子供は身近な大人のマネをする、と思ってきました。
ですので、自分なりに子供たちにマネされても恥ずかしくないような振る舞いを、できるかぎり心がけています。

マナーの悪い大人はいっぱいいますが、誰も「自分が後世に対して恥ずかしいことをしている」とは思うことはないのでしょう。

 

しかし、この原理はマナーに限ったことではない気がしました。
さらに発展して考えるべき余地があります。

部下も上司のマネをする?

それは、「部下も、上司のマネをする」ということも言えるのではないかと。いえ、きっとそうに違いありません。

企業風土を説明するとき、私は「システムコンテクスト」という言葉をよく使います。

コンテクストとは「文脈」です。
企業にとって、目に見える成果を決める、目に見えないものすべてが、このコンテクストに含まれています。
目に見える成果とは、なにも業績や従業員数、賞与ばかりではありません。
事故、不祥事など、企業にとっては「問題」とされるものも、すべて
成果です。

そうした成果を、間接的、直接的につくる「ふだんは目に見えない要素」が、企業風土となっています。
目に見えないものではありますが、感じることはできています。
それは例えば、
・社是や企業理念
・職場のパワーバランス
・個々のモチベーション
・エンゲージメント
・ローカルルール
・個々の好み、信念、価値観
・暗黙のルールや独自の共通言語

 

などなど、普段は気に留めることはあまりないようなものです。

 

しかし、こうしたさまざまな目に見えない要素が絡み合って、企業風土を形成し、それが要因となって企業の成果を決定づけます。

 

つまり、企業風土と企業業績は密接に関係しており、
それらの遠因となっているのが、普段私たちが感じている風土の構成要素なのです。

 

新入社員や中途入社員がまず洗礼を受けるのは、この「一見わけのわからない独特の風土」です。
どんな雰囲気のときに、どんな言葉使われ、どんなパワーバランスやレポートラインでチームの動くのか、というコンテクストに慣れることが優先されます。

 

それを無視して成果を挙げたとしても、多くの日本企業では「よそ者がたまたまうまくいった」としか見られません。
実際、転職の多い私も、過去務めた企業で、そんな目で見られていたのを実感していました。

つまり、その企業の独特の風土に、良かれ悪かれ「染まって」しまわないかぎり、本当の意味では、歓迎されないのです。

コンテクストとは、「私たちが受け入れ、使っている言葉や行為」

では、ふだんは目に見えることがなく、でも確実に感じていることができているコンテクストは、もっと言えば、

 

「私たちが受け入れ、使っている言葉や行為」

 

と言えます。

 

何げなく発している、その一言が、企業風土を作っていると思っても良いと思います。
私も含め多くの人は、自分の口から出てくる言葉の重みを、深くは考えないで使っていると思います。

ここで、最初の考察に行き当たったわけです。

つまり、部下は、上司のマネをするのです。
それが風土を形成するのです。風土が成果をつくるのです。

いかがでしょうか?

 

企業にはそれぞれ、崇高な理念やミッションがあります。
それらはなにも、思いつきや流行りで作られたモノではないでしょう。

会社はこうあってほしい。
社員はこうあってほしい。
そうすれば、企業として社会に貢献し、利益をあげつづけていける。

そういう思いがあって、作られているわけです。

 

しかし、いったいどれほどの人が、忙しい日常でそれらを意識しているでしょうか。
会社全体がハラスメント、メンタルヘルスなどに振り舞わされる日常が、現実に近いのではないでしょうか。

 

目の前の現実にばかり目がいくのは、ある意味仕方のないことかもしれません。

 

しかし、エグゼクティブ、マネージャーである自分が図らずも、その悪しき風土の一端を担ってしまっていたとしたら…

最初はピュアな新入社員や中途入社員たちが、いつの間にか「慣性」に流されるように染まるのは、その「一言」のせいだとしたら…

 

それはつまり、無意識から、いや無自覚から発する、不用意なそのひとことの積み重ねなのです。

部下は上司のマネをする。
そして、いつの間にかそれが組織のコンテクストになる。
コンテクストが風土を形成し、成果を決める。

その一言を吟味する

風土改革とは、究極をいえば「その一言を吟味する」ところから始まる取り組みとも言えます。

企業風土は「上司のマネ」で作られている

 

自分の口からでる言葉に、よくよく注意を払ってみたいものです。

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

わずかな言葉で
多くを理解させるのが、
大人の特質であるなら、

小人はこれとは逆に、
実に多くの言葉をしゃべりたてながら、
相手に何一つ伝えないという
天与の才能を持っている。

2020/09/14

リモワク時代のコミュニケーション・ランキング

こんにちは。

 

今回のコラムは、熱海の保養所で書いています。

コロナが拡大するずいぶん以前から、私はあまり出社はしないで仕事をしていましたが、

今回こうして、窓の向こうに海を眺めながら仕事ができるようになったことは、

時代が本当に変わりつつあることを実感してしまいます。

 

そして、いまやどんな企業でも、リモートワーク(以下、リモワク)への部分的、あるいは完全なる移行を推し進めていますね。

それにともない、これまでなんとなくずるずると先送りしていた働き方改革が、一気に進んでいるようにも思います。

 

また同時に、世の中には、「リモートハラスメント」(リモハラ)なるものが取りざたされています。

リモワク中に行われるハラスメントのことを言うようですね。

 

そんな状況を反映してか、最近よくこんな質問を受けます。

「部下とのコミュニケーションが取りづらい。どんな方法が良いのか?」と。

 

ふだんのように部下の様子がわからず、どんな風に関わったら良いのか迷っている上司の方は多いと思います。

 

コミュニケーションを取ることは大切なのはわかっているが、なんとなく取りづらく、そのまま半分放置してしまっている。

こんな方々も少なくないようです。

 

しかし、こんな例もあります。

例えば当社なのですが、リモワクに完全移行後、社内コミュニケーションはむしろ増えています。

コミュニケーションの機会を、意図的に増やしているからです。

移行前に比べ、明らかに双方の様子が、齟齬なく把握できています。

 

では、当社での試みも含め、

「リモワク時代の効果的なコミュニケーション手段」について、勝手にランキングをつけましたので、共有したいと思います。

 

リモワク時代のコミュニケーション手段ランキング

 

1位:対面

2位:ビデオ通話

3位:電話

4位:チャット

5位:メール

 

各手段について解説する前に、まず、リモワク時代のコミュニケーションが、何を目的にしているのかについて触れます。

ここでいうコミュニケーションとは、

 

相互理解を深めるための、じゅうぶんな質・量の情報が共有される

 

という目的です。

 

相手についての情報の手がかりが多いランキング、といった感じです。

 

 

まず、1位から簡単に解説します。

 

ん?リモワクなのに、1位に「対面」?

と思う方もいるでしょう。

 

リモワク時代といっても、例えば週に1度、月に1度は出社をするのではないでしょうか。そのときに、チームメンバーを久々に顔を合わせるということになりますね。

あるいは、チームメンバー全員はそろわないけど、半分くらいずつに分けて出社し、顔を合わせるといった企業もいらっしゃいます。

 

結論として、対面に勝るコミュニケーション手段はありません。

 

時代が変わったとはいえ、私たちは相手を知るためには、

言葉そのものだけでなく、表情、声色、息遣い、しぐさ、など、

すべての感覚を無意識に総動員して感じ取るようにできています。

 

中には、メールの下手な上司もいます。

空気を読まないチャットで、周りを凍りつかせたり、失笑を買ったりする上司もいます。

 

ですから、リモワク時代こそ、実際に顔を合わせる機会こそ、最大限に生かなければなりません。

ふだん、メールやチャットばかりで、ややギスギスした相互関係を、「生の対話」によって埋め合わせるのです。

 

いわゆる五感をつかった対話によって、コミュニケーションで起きていたい齟齬を埋め合わせてください。

 

できればひとりひとりと話し、様子をじっくり見て、必要なサポートを確認してほしいと思います。

少人数なら、そのまま仕事帰りに飲みに行っても良いでしょう。

 

繰り返しますが、「対面」は圧倒的1位のコミュニケーション手段です。

 

 

では、ここから2位以下。

正直申し上げて、2位以下はいずれにしても、程度の差こそあれコミュニケーションに「誤解」や「齟齬」を生みます。

したがって、これらは「僅差」となります。

 

 

2位「ビデオ通話」

 

表情が見られるだけ、まだマシ、といったレベルです。

しかし、リモワク時代の現実を考えると、これに頼るほかありません。

 

かぎられた画面(スクリーン)のなか、視覚と聴覚に頼るだけのコミュニケーションのため、五感を使って相手を理解することは難しいですが、

それでも相手のなんとなくの様子はわかります。

まだマシです。

 

ですから、こちら側も、「制限された画面」という空間の中で、相手に「誤解」を生まないような努力が必要です。

以前のコラムにも書いたように、画面のみのやり取りになると、「忖度」や「空気を読む」ことができないからです。

 

「わかりやすい表現」「わかりやすいリアクション」をすることが何より大切です。

もともと「こわもて」の上司だったり、「雑談」の苦手な上司にとっては、リモワク時代は相応の努力が求められます。

 

しかし最近、こんな話を耳にします。

 

「背景が映って、プライベートを詮索されたくないから、画面はオフにしている。。。」

「お化粧をしていないから、画面はオフにしている。。。」

 

「え?」正直、耳を疑いました。

 

もちろん上司側も、リモハラと言われない程度にプライベートへの配慮は大切です。

 

しかし、それを差し引いても、「あなたたち、今、勤務中でしょ?」ということなのです。

勤務中、つまりたまたま環境が自宅になっただけで、仕事をしていることには変わりがないわけです。

 

お化粧していないから、映りたくない?

では、リモワク前に、

「あのう。今日はお化粧していないので、会議に間に合いません。別室から音声通話にします」と会社で上司に言うのですか?

 

たとえば、オンライン会議をひとつとっても、「突然」始まることは少ないと思います。

あらかじめて予定されていることが、ほとんどです。

それなら、お化粧くらい間に合わせたらいかがでしょう?

プライベートを詮索されたくなければ、バーチャル背景を使ったらいかがでしょう?

 

勤務中にも拘わらず、会社よりも自己都合を優先させ、

しかもそれを飲まない上司に「モラハラ」だと烙印を押す。。。

 

社会人としてのモラル崩壊も、リモハラ時代には起きているようです。

 

上司がビデオ通話で顔を出している。

上司だって、髭をそったり、それなりの身なりで画面に映っている。

そして、部下のことを知りたがっている。

 

部下としては、それに応じることが、マナーではないでしょうか。

 

 

 

3位:電話

 

リモワクのための環境設備が整っていない、という方も多いでしょう。

 

会えない。ビデオ通話もできない。

となったら、仕方ありません。

 

非常に消極的な選択ですが、電話となるでしょう。

 

五感に頼ったコミュニケーションは、もはや電話では成り立ちません。

想像力や集中力を、フルに発動するしかないですね。

 

 

4位:チャット

5位:メール

 

正直申し上げて、コミュニケーション手段だとは思っていません。

 

もはや情報を通達するためのツールでしかありませんね。

相手が正確に理解できているかどうかの確認もできません

 

チャットがまだそれでもメールより上位なのは、

・形式ばったあいさつをしなくて良い

・タイムリーにやり取りできる

という2点によります。

 

こうなるとメールは、最後の手段です。

 

メールで送って良い内容は、「報告」と「連絡」のみです。

メールで、急な相談事などするのは、かなり身勝手な話かと思います。

 

相手は私のメールを読んで当然。

そして、相手は、私のメールに対して返信して当然。

 

要するに、このような潜在意識が働いているのではないかと思います。

まったく相手の事情を汲み取っていない、典型的な例ですね。

 

 

以上、リモワク時代のコミュニケーション手段ランキングでした。

 

 

私は組織開発の専門家ですが、

 

組織とは結局のところ、構成員ひとりとひとりの関係性から成り立ちます。

組織をどうこうしようと思ったら、まずは、自分と部下ひとりとの関係を見直すことから始めないといけません。

 

コミュニケーション手段の見直し、やってみませんか?

 

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

才があって
愚かな人はいるが、

 

分別があって
愚かな人は決していない。

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