もう”直観”に頼ろう

こんにちは。
春の訪れを感じる日が続いていますね。

スギ花粉の飛散がピークを越えたらしいのですが、私はまだまだピークのまま、日々、悟りのような境地に達しています。

今月は、長男と次男が無事、高校と中学を卒業しました。二人とも、第一志望の大学と高校にそれぞれ来月、入学予定です。

またそんなタイミングで、父親の私自身も色々ありまして、この4月から大学に入学(3年次編入)することになりました(笑)
50歳を手前にして、学び直しです。

もともと50歳でもう一度学びなおしをしようと決めていたのですが、1年早く、息子たちに刺激されて実現させました。

何を専攻したかなど、詳しくはまたの機会にするとして、今回のテーマは、その分野と大いに関係の深い内容をお伝えします。

「直観力」の大切さと育て方、についてです。

■直観力ってなんだ?

直観 intuition:
一般的に、感覚知覚の作用や判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知であり、プラトンによるイデアの直観、フッサールの本質直観等。

広辞苑

直観的:
判断・推理などの思惟作用を加えずに、対象を直接的にとらえるさま。

広辞苑

つまり「直観力」とは、
「自分のバイアスに頼らないでものごとの本質をとらえる力」
と言えそうです。

ということは、直観力を埋没させているのは、何か?

それは、上記広辞苑の言うところの「思惟作用」ということになります。

みずからの経験、知識が、あるときに強くバイアスとして働き、「直観よりも理屈を優先させてしまう」ということになるのでしょう。

その「思惟作用」をはじき飛ばし、問題の本質に迫る能力、これが「直観力」です。

■意外と「ロジック好き」な日本人
日本人は感覚的か?と問われれば、

「極端に感覚的な部分と、極端に理論的な部分を持ち合わせている」と、私は答えます。

八百万の神々を敬う人種であり、
中世以降、独自の大和文化を発展させた人種であり、
世間の空気を読んで動く人種でありながら、

一方で、

数学力が世界トップレベルの人種であり、
世界一のスパコンを生み出す人種であり、
集団のヒエラルキーと秩序を重んじる人種でもあります。

こうしてみると、日本人て意外とロジックが土着化しているんだなあ、と思いませんか?

ニュートラルに見れば、面白い人たちです。
ところが最近、とても気になっていることがあります。

それは、ここ数年、私が何か質問しても「わからない」と答える人が、実感として増えているということ。

■“聖域”なく「正解」を求める危うさ
内閣府が発表している「日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~」(2018年度調査)によれば、

Q.自国の社会に満足しているか?
Q.自分の職場に満足しているか?

内閣府
という質問に対し、「わからない」と答えた日本の若者の数が、対象国7か国中、ダントツで多かったのです。

これは、その前の調査でも、前の前の調査でも、同じ傾向が続いています。私の持っていた違和感はある意味、「これで裏付けがなされた」と感じました。

だから日本人がダメだとか、そういった話ではなく、
この質問をよく見てみれば、
「自分自身がどう感じているか?」との問いに、「わからない」と答えるのは、なんかヘンだと思いませんか?

「自分がどう感じているか」は、自分にしかわかりません。
「まあ、いいんじゃないの」とか、「ちょっと不満だね」くらいのことは、自分の気持ちを拾ってみれば出てくるはずです。

ところが、「わからない」と答えてしまう…
いったいこれは、何を意味しているのでしょう?

それは、「誰かが正解を教えてくれないから、わからないままでいい」というメンタリティの表れなのではないでしょうか?
ハッキリ言ってこれは、そうとう”貧弱”です。。。

もし子供や部下に「あなたがどう思っているか知りたいんだ」と質問し、「わかりません」と答えられたら、どう思いますか?

「こいつ、大丈夫か…?」と思いませんか?

■「わからない」では済まされない問題

つまり、こうしたメンタリティをもっとシンプルに言うなら、
「誰かが正しい答えを教えてくれれば、それが私の答えです」

もっと言えば、
「親や上司から言われたことが、私の正解です」

そしてさらに、
「集団や組織が言うことは正解だから、何も考えずに従います」

となりませんか?

「わからない」という回答には、そこまでの貧弱なメンタリティが含まれているのです。

私がこのコラムで必要性を訴えている「創造性」とは、まさに真逆の方向に仕上がりつつある、という現状です。

すぐに「わかりません。答えをください」という部下を持つ上司は、かなり多いのではないかと思います。

それは、常にタイムリーに、正解を会社が用意してくれていた時代が、永く続いたからです。

■「答えはあの人が持っている」??
なぜ、自分で考えて答えを出すことが苦手な人が、これほど多いのか?

それには、3つの理由があると思います。

①誰かが正解を用意してくれていたから
つまり、「先生・経営者・親が言うことを聞くのが美徳だ」と言われてきたから。

②自分の意見を言うと、ペナルティが待っているから
つまり、率先して意見を述べる人には、その後のすべての責任が負わされる。または、「余計なことをいわず、黙って従え」と罰せられるから。

③問題そのものが単純だったから
つまり、ロジカルに、科学的に突き詰めれば、解決できてしまう問題が多かったから。

こうしてみると、その昔はじつに問題がシンプルであり、それに応じて組織も、みずからの指示系統を整えていった、と言えるでしょう。

子供や部下にとっても、親や上司に従ってさえいれば、間違った方向に行かなくて済む、という感じです。

しかし、例えば

「原発事故後の原子炉の処理をどうするのか?」とか、
「宇宙ビジネスをどうやって会社の利益に引き込むのか?」といった、

社会的な問題しかり。

あるいは、

「あなたは本当に今、幸せか?」とか、
「あなたらしい生き方って何?」といった、

個人的かつ、すごく重要な問題しかり。

そこに、ほんとに「わかりません」と安直に答えていて良いのでしょうか?

確かに、問題のスケールは違いますが、良いわけがありません。

そもそも、自分の人生は誰が決めるのでしょうか?
国や会社や上司に決めさせて良いはずがありませんよね?

■直観力は、“人権”を取り戻すための力
フランス革命によって“人権”という思想が生まれて、およそ200年余り。

人類は身分制度から、とうの昔に解放されていて、まったくその頃とは別のOSで生きているわけです。

さらには、AIが発達し「人間て、なんなの?」という問いが突きつけられています。

せめて、自分のことぐらいは、自分で「YES、NO」を答えられるようになっておきましょう。

直観力とは、まさにそんな時代のOSに、必須の力です。

大げさでなく、これからの時代、人としての権利を守り抜くためには、この直観力がめちゃくちゃ重要です。

では、直観力とはどうやって高めていくことができるのでしょうか?

■直観力を磨くには
直観力は創造性を高めます。

そして直観力は、誰だって高めることができます。

AIには分析も予測もできない、理屈を超えた、内発的な感覚を表現することが、人間ならできます。

それには、
「自分なりにわかろうとする努力」をしなければなりません。

そして、
「それを表に出す努力」つまり、表現する努力をしなければなりません。

自分なりにわかろうとする努力とは、「逃げない」ということです。
いつもだったら「わけがわからない」と思うものと、向き合うことです。

例えば、絵画を鑑賞するとか、普段行かないイベントに行くとか、価値観のまったく違う人と交流することです。

そして、いつもだったら「わからない」と答えたくなるような問いに対して、「わかりません」という言葉を使わず、自分なりに考えを深めるということです。

自分なりに表に出す努力というのは、「ボキャブラリーを増やす」ということです。

誰しもが、感情を持っています。

違和感、不安、驚き…最初に自分の内側で生まれるこうした感情から目を背けていては、いつまでたっても「自分が何者なのか」はわかりません。

■アーティストに任せっきりにしない
自分のことを他人に決めさせるのがイヤだったら、その気持ちを表に出す努力をしましょう。

それは、表現力です。

表現力は、ボキャブラリーを増やすことで、「表現する勇気」が補完されるはずです。

いかがでしょうか?

直観力は、努力でいくらでも高めることは可能です。
けっしてアーティストだけが特別に備えている能力ではないのです。

繰り返しますが、
原子炉問題、ロシアの侵攻問題、パンデミック対応問題など、
過去のロジックでは、今起きている前代未聞の問題には、まったく太刀打ちできないのです。

取り扱う問題の質が、すっかり変わってしまったのです。

それに応じたOSに切り替えるためにも、なにより私たちは私たちの中にある「直観力」を頼りにしましょう。

ときにはロジックを捨てて…自分を信じて。

皆さまの、心豊かな日々を祈りつつ。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

<本日の箴言>
老人はよい教訓を言いたがるが、それは、
もう悪い手本を示す年ではなくなったことを、
ひそかに自慰するためである。

ラ・ロシュフコー

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