創造力の養い方

こんにちは。
春を告げる陽気が続いています。

近所の井の頭公園にも、春休みなのか、子供や若い人たちで大賑わいです。

公園で大勢の人たちが思い思いに楽しむ姿を見ていると、あのコロナ禍や国政紛争のことを、いっとき忘れられるような気がします。

これまでのコラムでは、「メタ認知」を掘り下げてお伝えしてきましたが、今回も別の観点から補強をしていきたいと思います。

今回のテーマは、「創造力」を持つためのヒントについてです。

■創造力ってそもそも?
創造:新たに造ること。神が宇宙を造ること。
(広辞苑より)

つまり創造力とは、

「今までなかった新しいものを造る(創る)力」

のことです。

創造は、
努力とか、改善とか、
「1」 だったものを「2」とか「10」にしていくとか、
「今あるものに、工夫を重ねる」こととは明確に違います。

創造とは、「0」から「1」を生む、いわゆる「ゼロイチ」のプロセスことを言います。

■トップダウンはダメなのか?
もともと私を含む多くの人が日本の企業に勤めていますが、おしなべて日本の企業文化は「創造力」を育むには向いていない、と言われてきました。

簡単に言えば、組織の遂行力の良し悪しは、ほぼ「トップダウン」で決められたからです。

ひと握りの意思決定者が情報を囲い込み、正解を持ち、
それに至るまでの道のりも知っていた。

そして、すべての情報を渡すことなく、
中間層以下には、正解と道のりだけを伝えていた。

素直な中間層以下の社員は、わき目も振らずにそれに従っていた。

こうして、日本企業は数十年の間、このスタイルで大きな問題もなく、それどころか、世界でもまれに見るほどの急発展を遂げたのです。

と、これは、1990年代までのお話なのですが。
この「昔の成功体験」から、多くの企業はまだ抜け出せずにいます。

「今まで以上に努力すれば、あの頃の栄光をもう一度手にできる」と言わんばかりに、

経営者たちはますます情報を開示することなく
(じつは情報自体が、たいしたことないときもある)、

中間層に雨あられのごとく指示を与え、
さらに強く尻を叩き、疲弊したら首をすげ替える、
というパターンを繰り返してきました。

せっかくの未来のリーダー、せっかくの優秀な戦力だった30~40代の社員は、
指示どおりに猛烈にタスクを遂行するばかりの思考回路となるか、
あるいは、それになじめない人たちは、自信を失うか、適当な理由をつけて会社を辞めるか、

こういった状態に追い込まれてきました。

経営者たちは、「指示を落とす」ことがミッションだと勘違いし、「指示通りに動く部下」がかわいいと思い、

こうして”権威”ではなく、”権力”ばかりを増長させていくのです。

権威を追いかけて、権力ばかりを身にまとう。
人心が離れる典型的なパターンです。

結論。これからの時代、トップダウンではだめなのです。
創造的な風土とは真逆のものを造ってしまうからです。

■脱・ノスタルジー
さっきのパターンは、極端な話でしょうか?
けっしてそんなことはないと思います。

トップダウン型は、「昔取った杵柄(きねづか)」。
つまり、「あの時代だから、成功してたパターン」です。

でも、時代はとっくに変わりました。
「今まで以上に努力すれば、どうにかなる」というのは、もう一部の人しか見ていない「妄想」にすぎません。

足元を見てみれば、

・労働人口の変化:つまり、若手がいない。

・市場構造の変化:趣味趣向や価値観の多様化が進んだ。

・気候変動やパンデミックの発生:消費したくても消費できない世の中になった。

・AIの発達:人って何なの?という根源的な問いを突き付けられている。

こんな現実が目の当たりにあるわけです。

VUCAと言われる時代において、企業が求められているのは、「生産性を上げたいなら、やり方を変えなさい」ということですよね。

しかも、「そんなこと100も承知だ」と口だけは言いきる肝心の経営側に、この問題を解消する決定的な答えがない。

あちこちで火の手が上がり始めているのに、消火栓がない。

つまり今は、企業にとっての非常事態なのです。
そんな状況で、まだトップダウンによって「経営の言っていることは正しい。だからそれに従え」というのは、ナンセンスですね。

■だから創造力を育もう
企業に求められるのは、「頭数が少ないなら、長時間働かせるのじゃなく、ひとりひとりの力を最大限に発揮させる」こと、ですよね。

長時間働いて「1」を「2」にするのではなく、
一人の力を「2」にすること。

100人規模の会社だったら、
200人規模、あるいは1,000人規模の
インパクトを出すこと、ですね。

そのためには、「長く働け」ではなくて、「持っている力を発揮しろ」が必要なのです。
これが「創発」です。

そのための仕組みは、やはり「創造力を育む環境」を企業に備える、ということです。

「ひとりひとりの創造」が、「集団の創発」を実現させるのです。
過去30年間、先進国の中で唯一、実質賃金が下がり続けてきた日本。
それは、新しいものを造り出せていない、つまり創造ができていないことが背景だと思います。

価値には、対価が支払われます。
価値が生まれていないから、対価が下がり続けてきたのです。

■創造力はどうやったら「メタ認知」によって育めるのか?

今回のテーマは、企業としての取り組みやノウハウではなく、
ひとりひとりの個人が「自分は創造力を発揮したい」という声に応えるテーマにしています。

私が考えるその方法を、概念的ではありますが、お伝えします。

創造は、情報を「メタ認知」することから始まる。
創造は、点と点をつないで、新しく美しい線を引き、形あるものにしていく
ことだと思います。

星と星をつないで星座という図式に見立てるように。

情報をメタ認知するとは、
目の前の無秩序な情報を、自分の美意識に任せて、
”新しい秩序”に作り上げていくことです。

目の前の情報ひとつひとつに振り回されることなく、呑み込まれることなく、
「なぜこうなっているんだろう?」という好奇心や違和感をもとに、「そもそも」の地点に戻っていく視点が、メタ認知です。

自分は当事者ではあるものの、目の前の情報、また、自分自身から距離を置いて眺めます。すると、情報はただひとつの点となります。

その点をさらに引いて眺めると、周りを取り巻く、さまざまな背景、目的、意図などが、見えてきます。

その瞬間が、メタ認知を得た瞬間です。

背景や意図と、その点、すべてを包含して、
全体の「あるべき方向」の視点に立って、
情報たちを取り扱うこと。

これが、創造です。

前回のコラムで紹介したように、

例えば「歴史から今を眺める」とか、「嫌いな人の視点から自分を見る」とか、「未来予測から今を見る」というのは、その具体例です。

■自分を好きになりすぎない人
あくまで個人の見解ですが、創造ができる人の特徴というのは、
「自分に対して常にメタ認知ができている人」なのではないかと思っています。

つまり、「自分大好きな人」は、自分のことをメタ認知できていないように思うのです。

だからといって必要以上に自分に厳しくなったり、自信を失ったりする必要はなく、

ただ「自分を全体の中の一部」として、冷静にその価値を評価できるのが、メタ認知だと思うからです。

これができれば、他人も、自分と関係を築いている、全体の中のひとつの存在です。

「どんな関係性が育まれれば、全体が良くなるか」が、考えられるのではないでしょうか。

それこそ、創造のプロセスだと思っています。

自分の価値を、ニュートラルに評価できますか?

以上、創造のプロセスとメタ認知の関係についての考察でした。

皆様に、明るい春が訪れますように。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

<本日の箴言>
ラ・ロシュフコーより

どんな不幸な人生からでも、利口者は何らかの利益を得る。
一方、どんな幸福な人生からも、愚か者は心を傷つけられる。

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