「超・メタクエスチョン」この世界の謎に挑む10の問い

こんにちは。
今回はさっそく本題です。

答えを待ち続ける日本人
私たちは日ごろから、誰かが作ってくれた「答え」を享受しています。
誰かから与えられた答えの恩恵に浸り、ほとんどの時間、何の疑問もなく過ごしています。

答えがないことにイライラする大人たち


そして、「答えがない」シチュエーションに立ち会ったとき、急に不安になり、イライラしたりすることがあります。
答えがない状況を心地悪く感じ、挙句「私のほしい答えをくれない誰か(環境、他人)が悪い」と言い出す始末です。

しかし、人間の本質をつかさどっているのは、「考える」ことです。
自分の頭で、考えること。これを忘れている大人が本当に本当に多い。

大学教育が終われば、ほとんどの大人が勉強を辞めてしまうことが、その証拠です。

学校は「だれかが答えを与えてくれるところ」だから、
一方的に答えを享受すれば済むのですが、
社会は「自分で答えを探すところ」だということを
知らない人が多いようです。


大人に教育をやっていても、
「私のほしかった答えじゃない」と、平然と言ってしまう、など。

でも、ちょっと考えてみたいです。
他者から与えられる答えなんて、単なる情報でしかありません。
その情報を「つなぎ合わせたり、積み重ねたり」して、
創意工夫をしながら「理解しようと探求」するのが、
人としてあるべき態度
だと、思うのです。

私は上記のような態度になってしまう大人が多いことに、本当に危機感を持っています。
そんな大人が育てる子供が、これからどうなっていくかを考えると、もっと怖いです。

いくら自虐好きな日本人とはいえ、もう笑えない状況まで来ています。
隣国では、今にも侵略が始まりそうなほど、状況が緊迫しています。
日本人の多くが、「人から与えられる答えを受け入れる」というのんきで貧しいメンタリティのままで、良いはずありません。

手っ取り早く手に入る情報に、私たちを幸せにしてくれるものなんて、ほとんどないです。

「今一度、人間の本質をのぞいてみたい」


危機感とともに、最近私はそんな好奇心がメラメラと自分の内に燃え上がっているのを自覚しています。

深遠な「問い」で、世界の本質を知りたい
人類の歴史を通じて、私たちは本来、自分たちの存在や宇宙の本質についての深遠な「問い」を持ってきたはずです。

これらの問いは、科学、哲学、宗教、さらには日常の生活の中でさえも、私たちの心の奥底にひそかに存在しています。

今回は、目の前の些末なことに関わる「チマチマとした質問力」なんかではなく、もっと視点を宇宙レベルに引き上げて、問いを10個考えてみました。

「超・メタクエスチョン」として、この世界の真実を探求する10の中心的な問いを紹介します。
思わずその問いと向き合い、人間の本質を考えてみたくなる問いです。
スマホのゲームをする手をとめて、しばらくの間、自分と対話してみてください。

1.存在の意味を問う
「なぜ何もない代わりに、何かが存在するのか?」
これは、宇宙や生命、あるいは何かが存在する理由そのものを問うものです。物理学や哲学では、最も根源的なテーマとして扱われています。

2.意識の謎を問う
「私たちはなぜ意識的な存在として、何かを体験するのか?」
意識とは?その起源とは?その性質は、科学だけでなく、哲学や心理学においても最大の未解決のままの問題のひとつです。

3.宇宙の始まりと終わりを問う
「宇宙はどのようにして始まったのか、そして最終的にどのような終わりを迎えるのか?」

誰もが考え出すと止まらなくなった経験はあるでしょう。
宇宙の創造と終焉は、物理学や宗教の双方で中心的なテーマとして取り扱われてきました。この問いは、時間と空間の本質に密接に関連しています。

4.道徳と倫理を問う
「善と悪の違いは何か?」
道徳とは何でしょう?今この世の中で、これほど争いが起きているのはどういう理屈なのでしょう?
社会や文化を超えて、人間の行動や判断の基盤となる価値観を探求する問いです。

5.運命と自由意志を問う

「私たちの選択は本当に自由なのか、それとも何らかの因果や運命に従っているのか?」
この問いは、人類が人類たることに向き合ったときから始まった問いのように思います。哲学や神学、さらには科学の領域で激しく議論されてきました。

6.時の本質を問う
「時間とはだれのために存在するのか?」
時間を生きている私たちは、この時間を「一律に、等しく存在するものだ」ととらえていますが、それは本当でしょうか?
物理学者、哲学者、さらには一般の人々も取り組んできた普遍的な問いです。

7.人生の目的を問う
「生命や存在には目的があるのか?」
私たちは何のために生まれ、何をするため、何を得るために生きて死ぬのか?
この問いは、宗教や哲学、心理学など多岐にわたる領域で探求されてきました。

8.実在と幻想を問う
「私たちが認識するこの現実は、他者にとっての現実と一致しているのか?」
真実は人の数だけ存在する、とはよく聞く言葉です。
現実は、はたしてどこまで真実を埋め合わせてくれるのか、これを考えると夜も寝られなくなります。
知識論や心の哲学の核心をなすものです。

9.死後の存在を問う
「死後の生命や意識は存在するのか?」
多くの宗教や哲学で、この問いは有史以来ずっと問われ続け、現代でもなお「新興宗教問題」に見られるほど、多岐かつ、魅力を放っている問いです。たくさんの思想が、異なる答えを持っています。

10.知識の限界を問う
「人は真実や現実を完全に知ることができるのか?」
”好奇心”が文明をここまで進化させました。
いわば人類を人類たらしめているのが、好奇心です。

世界をもう一度魅力的なものにする「超・メタクエスチョン」
これら「超・メタクエスチョン」は、答えが容易に見つからない問いばかりです。
だからこそ、人々を魅了し続けています。
世界の本質を知りたい、という私たちの好奇心をくすぐるのです。

つまり、その問いが、私たちがこの宇宙や存在について考え、感じ、そして学び続ける原動力となっています。

これらの問いに正解はないでしょう。
ですが、それらを追い求める過程こそが、私たちの知識や理解を深めてくれるのです。

ときには目の前の雑事から目を離し、少し空を見上げてこの問いについて考えてみませんか?

答えがないからイライラしている自分が、きっとものすごくちっぽけな存在に思えてくるに違いありません。

人間の本質を手放さない。

このことを忘れないこと。
私たちがこれからの時代を生き抜くキーになると思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

<今週の箴言>
太陽も死も直視することはできない。

ラ・ロシュフコー

※note きよはらつよし(清原豪士)より転載

●リバース・フロウ 関連サービスはこちら⇒http://re-flow.co.jp/service/

タイトルとURLをコピーしました